荒野のハイエナ

 俺はハイエナと呼ばれている。たぶん。


 家の向かいのスーパーは9時閉店で、俺はいつも8時半頃そのスーパーに行く。むろん半額シールの貼ってある商品が目当てだ。8時ではいけない。その時間ではまだ2割引きシールだ。そうして俺は賞味期限の近づいた半額食品で夕飯を作り、食べ、寝る。
 きっとパートのおばちゃんたちは、俺のことを裏で「ハイエナ」と呼んでいるに違いない。くそっ。たしかに俺は、毎日半額シールを狙っているが、それは別に犯罪じゃないし、洗剤とかトイレットペーパーとか、日用品は普通に買ってる。それなのに、そんな不名誉なアダ名をつけられている(かもしれない)なんて。
 だいたい俺はお金のために半額シールを買っているわけじゃないんだ。半額シールは当然その日売れ残った商品に貼られている。だから、半額シールが貼ってある商品はそう多くない。俺はその日の献立を決めるのが苦手だから、あえて選択肢の少ない半額シールを使うという枷を自分に課しているのだ。選択肢が多いほど、人は選ぶことが難しくなり、また自分の選択を後悔することが多くなるということは、心理学的にも証明されている。それなのに、くそっ。ハイエナと呼ばれている(かもしれない)なんて。


 アダ名のことを考えると、スーパーへ向かう足取りも重くなった。店員さんが俺を笑っている気がする。いっそ定価の商品を買おうとも思ったが、膨大な選択肢の前に身動きが取れなくなってしまった。
 このままじゃ生活に支障が出てしまう。追い詰められた俺は解決策を閃いた。ハイエナと呼ばれることに納得がいかなくてストレスになっているのだから、ハイエナと呼ばれることに納得できればいいのだ。
 さっそく俺は黒い斑点のついた灰色のジャケットを着こみ、鼻と口の周りを黒く塗り、8時にスーパーへ向かった。そして、2割引きのシールが貼られた商品の周囲を(四足歩行で)うろうろした。8時半、ついに半額シールが貼られた商品を、俺は素早い動きで捕らえ、口にくわえたままレジに持っていった。
 これならハイエナと呼ばれても仕方ない。でもそれはネガティブな比喩的意味のハイエナではなく、動物としてのハイエナを指したアダ名だ。ついに俺はハイエナと呼ばれることを受け入れることが出来た。しかし、
「レジ袋はご利用ですか」
 その一言で頭が真っ白になってしまった。こういう時、本物のハイエナはどう対応するんだ。ハイエナの鳴き声を調べておくべきだった。
「あ、へへっ」
 俺は思わず照れ笑いでごまかしてしまった。くそっ。俺のなりきりは不完全に終わってしまった。最後の最後で素の、人間の、俺自身が出てしまった。今日からこのスーパーでの俺のアダ名は「ハイエナモドキ」だろう。悔しいが、自分の準備不足を責めるしかない。


 家に帰って調べると、ハイエナの鳴き声は人間の笑い声に似ているらしい。ということは! あの照れ笑いでOKなんじゃないか! やった! 俺はハイエナだ!
 その日、スーパーの裏でパートのおばちゃんが俺を「ハイエナ」と呼んでることを想像して、俺は眠りについた。