桐島、部活やめるってよ

 夜中にテレビをつけると甲子園のダイジェスト番組がやっていて、真剣な瞳をした高校球児が映っている。その瞬間、俺はぐわーんとしたものを感じてずしーんと圧倒される。
「もしかしたら、俺はもう一生甲子園のマウンドに立てないんじゃないか」
 すごく焦る。こんなことをしてる場合じゃない。何かしなくては。
 俺は下だけジャージに着替えて、ダッシュでバッティングセンターに向かった。機械に百円玉を3枚入れてマシーンに球を投げてもらうが、気持ちばかりが焦って、1球も打てないまま300円分(20球)のピッチングが終わってしまった。
 無力感と焦燥感と汗臭さを抱えて俺は家に帰った。そして気づく。俺は高校を卒業してもう10年も経っているし、そもそも野球部じゃなかった。どうりで汗臭いはずだ。高校時代、俺は競技迷路部だった。
 競技迷路とは、制限時間内にお互い迷路を作り、その後、相手よりも早く相手の作った迷路から抜けることを競うスポーツだ。競技迷路の歴史は意外と古く、17世紀のヨーロッパにその起源を求めることができる。フランス王ルイ14世もベルサイユ宮殿の庭園に巨大な迷路を作らせたそうだ。日本でも江戸時代に、紙に書いた迷路を解く遊びが庶民の間で流行した。紙に書いた迷路は「迷図(めいず)」と呼ばれ、偶然にも迷路を意味する「maze(メイズ)」と同じ音である(迷路豆知識)。
 俺には迷路の才能があったらしく、一年生にして迷路部のエースだった。ポジションはダイダロス(迷路を考える人)。入部してすぐの夏の大会で、うちの高校は全国制覇を成し遂げた。俺は全国大会で準決勝までの5試合すべてでナスカ(正解のルートを上空から見ると何かしら意味のある形になっている迷路)を使って勝った。ナスカは普通「魅せ技」と呼ばれ、試合に勝つために使うテクニックではない。むしろ、途中から正解のルートを予想しやすくなるため、勝つためにはマイナスになる。だが俺はナスカを使い続けた。面白がる奴もいれば、対戦相手をナメていると非難する奴もいた。そして決勝戦、俺はナスカを使わなかった。俺が決勝戦で使ったのはオルトロス(正解のルートと同じくらいの長さの間違いのルートがある迷路)だった。さらに間違いのルートの方にナスカを仕込んだ。相手校は俺がまたしてもナスカを使っていると勘違いし、間違いのルートの方をどんどん進んだ。そして、それが間違いだと気づいた時には試合は終わっていた。俺はこの決勝戦のためだけに、それまでの試合でナスカを使うというリスクを冒してきたのだ。完全に俺の思惑通り。作戦勝ちだ。
 しかし、この勝ち方はめちゃくちゃ不評だった。「勝ち方が汚い」「卑怯」だというのだ。俺は全然納得できない。ルール違反はしていないし、効果に見合うリスクも負った。だいたい迷路は読み合いがキモな競技なんだから低い次元の読みしかできなかった相手の失点だろ。俺を責めるのはお門違いってもんだ。でも、みんなそこんところを分かってくれなくて、練習試合とかしても陰口叩かれてるのが感じられたから、さすがに少し傷ついたし、ウンザリして部活を辞めてしまった。それから二年間は生物部だった。幽霊部員だったので特に思い出はない。


 翌朝目覚めると体が痛かった。俺はなんで昨日あんなに焦燥感に駆られたんだろう。まったく、慣れないことはするもんじゃない。電車の中で寝ようと思い、朝食を食べずに早めに家を出た。朝食はどこかコンビニででも買えばいい。
 電車の中で夢と現実を行ったり来たりしているうちに、人が増えて車内がいっぱいになったことがまぶたの向こう側に感じられた。ちょっとだけ優越感、早めに家を出て良かった。
 しばらくすると、前にいる奴がやたらと足を蹴ってくる。まぁ満員電車だし、ある程度は仕方ないよね、と寛容な俺は思う。でもホントにちょっとこれは我慢できないぞってくらいの頻度になってきたので、もしも怖そうな人だったらイヤだなと思いながら、眠いテンションに任せて目を開き、ニラむ。前にいたのはパッとしないふわふわした草食系って感じの男だった。ムッとすると同時にちょっとホッとする。でもソイツは何故かニコニコしてる。あ、ある意味危ない奴か、困ったなぁ、と考えてるとそいつが話しかけてきてビビった。
「桐島くんだよね?」
「えっ? はい。そうですけど」
「俺、十番。覚えてる? 西高迷路部の」
「あー!」
 奇跡的に俺は十番くんのことを覚えていた。変な名前だったし、バカだったからだ。俺は西高との練習試合で彼の迷路を解いた。いや、解いたと言えるのだろうか。彼の迷路は曲がり角こそあるものの、選択肢のない一本道で、俺はただそれを全速力で走っただけだった。後で「なんでこんなの作ったの」と聞いたら「間違いのルートを作るとその分フィールドを使っちゃうだろ。だからフィールドに正解ルートだけ作れば、最長の正解ルートが作れる。仮に競技者が同じ足の速さだったら、長い距離を走る方が負けるってワケ」とニコニコしながら嬉しそうに話した。間違いのルートっていうのは、そこを通ってしまうと正解のルートに戻らなくちゃいけないから、実質二倍の距離を産み出すことができるんだ。お前の作戦はもはや迷路じゃなくて陸上だろ。
 迷路に関してはモヤモヤした気持ちもあるけど、やっぱりちょっと懐かしくて嬉しくなって、会社帰りに飲みに行く約束をして、連絡先を交換して別れた。


 夜、十番くんは待ち合わせの場所に先にいた。仕事中、同級生と久しぶりに会う時は、宗教と政治に気をつけろって言葉を思い出して気にしてたけど、十番くんは一人だったので少し安心した。俺たちは280円均一の居酒屋チェーン店に入った。特別親しかった訳じゃないし、なんか勢いできちゃったけど大丈夫かな、っていう心配は杞憂に終わった。意外と楽しく過ごせるもんだ。案外これくらいの距離感の方が、久々に会った時は埋める溝が少なくていいのかもしれない。当時から親しくないから時間の経過によるギャップが全然ない。
「ところで桐島くん、いまは何してるの?」
「いや、普通の会社員。十番くんは?」
「俺はね、造園会社に勤めてるんだ」
「へぇー」
「普段は公園とか、団地とか、住宅街の植栽とか緑化とかやってるんだけどね」
「(ショクサイってなんだ?)緑化かー」
「うん。でもね、今度、巨大迷路を作る計画があるんだ」
「え?」
「巨大迷路。80年代には結構流行ってたんだよ。またブームを作ろうって企画」
「ふーん」
「それでさ、桐島くん、迷路考えてくれない?」
「え?」
「俺も元迷路部だし、自分で考えるつもりだったんだけどさ、今日偶然桐島くん見つけて、これは何かの運命だと思って」
 まぁ確かに十番くんの迷路はちょっと不安だよな。でも、俺が迷路か。部活を辞めてからは作ったことない。けど、酒の勢いもあって「やる」って言いたくて仕方ない。
「お願い! 少しだけど、謝礼も出せると思うから」
「わかった。やるよ」


 十番くんの会社が用意していた土地は、競技迷路のフィールドより何倍も広くて、俺は有給を使って迷路作りに取り組んだ。ククルカン、ヤマタノオロチ、パカチャマック、…… あらゆるテクニックを試した。もちろんナスカも。正解ルートを上から見ると、太陽を模した図形になるようにした。自分でもスゴい手応えを感じた。最高傑作だ。

 十番くんの会社はこの企画に結構力を入れていたらしく、テレビや街中で宣伝をよく見かけた。「最凶の迷宮現る――最初に解いた人に賞金10万円進呈」

 オープン当日、巨大迷路にはたくさんの人が並び、マスコミも集まった。賞金を身内に渡すわけにはいかないから俺は中に入れてもらえなかったけど、企画としては一応成功だったみたいだ。華々しいスタートの合図とともに、入り口が開いた。なんだか俺は満足だった。

 しかし、何時間経ってもゴールする人が現れない。迷路が複雑過ぎたのだ。巨大迷路の中から悲鳴が聞こえ、その悲鳴がまた悲鳴を呼び、まさに阿鼻叫喚の地獄を思わせた。ついには自衛隊が出動する事態になり、その場で迷路を解体し、中の人々を救助することになった。マスコミの数は最初よりも増え、十番くんの会社の人たちはてんやわんや、俺はどうしたらいいか分からなくて呆然としていた。
 騒ぎが収まった時、巨大迷路はほぼ完全に解体され、いくつかの板が重ねられた平地と化していた。俺は、その平地の砂を持って帰って瓶に詰めた。