てめえらの血はなに色だ
英語で「blue rose(青い薔薇)」といえば、「不可能」という意味になるくらい青い薔薇っていうのは作ることが難しいとされていたんだけど、バイオテクノロジーの発展で人類はついに青い薔薇を作ることに成功した。
まぁ青い薔薇の話をするまでもなく、薔薇には色んな色がある。ところで「薔薇色の人生」っていう慣用句があるけど、あの薔薇色って何色なの? 仮に最もスタンダードな赤だとしたら、なんか血塗られた人生って感じがしちゃわない? ほら、薔薇の花束を抱えて恋人の元へ向かう途中に殺されたりするシーンで、血の代わりに花びらが舞うって演出みたことあるでしょ?
話は変わるけど、いま色鉛筆のセットに「はだ色」ってないらしいよ。人種差別的なニュアンスが出てしまうからね。じゃあ何て名前になったのかって言うと「うすだいだい色」だってさ。
まぁ何が言いたいかっていうと、物事には例外がつきものだから、固有名詞を色の名前に使うのはよくないってこと。わかった?
まだ若い緑色のだいだいが、そう言った。
想像上の野球部
アメリカの青春映画とかを観ていると、たいていアメフト部のキャプテンがチアリーダーと付き合っていて、いかにもイケイケって感じの描写をされていることが多い。いわゆるスクールカーストってやつだ。
うちの中学では、野球部がスクールカースト上位だった。俺は当然イケてないグループだった訳なんだけど、ルサンチマンというかなんというか、野球部のやつらが嫌いだった。声デカイし、言葉遣いは乱暴だし、バカのくせに偉そうだし。
それで、同じくイケてない友だちのヨシノリと一緒によく野球部の悪口を言っていた。
「あいつらバカだよな」
「ホントに。いつも『ウェ〜〜イ』とか言ってな」
「『バッチコーイ』とかな」
「『ピッチャーノーコン』とか下品の極み」
「『かっせー』ってどういう意味なんだ?」
「かっとばせじゃん? あと『リーリーリー』とか」
冷静に考えると、私たち2人は野球部の友だちなど1人もおらず、試合も練習も観にいったことはなかった。だから悪口も想像上の野球部に向けられたものだった。野球部が本当に「バッチコーイ」と言っているのを聞いたことはない。
それでも私たちは、漫画やアニメのイメージから作り上げた想像上の野球部の悪口を言い続けた。私たちの想像力は貧困だったので、あんまり盛り上がらなかった。暗い青春だ。
大人になってFacebookをはじめると、同じ中学だったやつらの近況が流れてきた。野球部だったやつらは、みんな早めに結婚して子どもがいた。
あいつら、どうせ「パパでちゅよ〜」とか「いないいないばあ〜っ」とか言ってるんだぜ!
俺なりのテレビとの付き合い方
「入れ歯洗浄なんて、どれも同じ。そう思っていませんか?」
テレビを見ていたら、小日向文世さんが出てきてそう問いかけてきた。アース製薬「ポリデント」のCMだ。私は戸惑った。正直に言うと、今まで入れ歯洗浄について考えたことは一度もない。
小日向さんの問いかけに答える資格がないと考えた私は、ドラッグストアへ急いだ。小林製薬の商品は「タフデント」と「パーシャルデント」の2種類あったが、どうやら「パーシャルデント」の方は部分入れ歯用らしい。LIONからは「デントヘルス」が出ている。
箱の裏側の成分を見たが、素人の私にはよくわからない。細かい中身は違うが、界面活性剤は油汚れを落とすものだろう。どの商品にも共通して入っている酵素は、たんぱく質を分解するものだろうか。防錆剤は入っているものといないものがあるようだ。
こんなにもじっくり入れ歯洗浄剤について考えたことはなかったが、これで小日向さんの問いかけに答えることができる。
小日向さん「入れ歯洗浄なんて、どれも同じ。そう思っていませんか?」
私「いいえ。どう違うかはピンときていませんが、違いがあることは知っています。」
小日向さん「ポリデントは違います!」
私「そうなんですか!?」
小日向さん「4つの成分が働くから洗浄力もニオイの原因菌を除去する力もスゴイんです」
私「4つの成分? どの成分のことですか? 少なくとも除菌に使われていると思われる漂白活性化剤(TAED)は他社製品でも使われています。除菌率99.9%という謳い文句も他社製品と同じです。教えてください小日向さん!」
小日向さん「毎日しっかり除菌してくださいね!」
私「答えてくださいよ小日向さん! 最初に問題提起したのはあなたでしょう? 小日向さ~ん!」
私の叫びも虚しく、テレビは無情にも次のCMを流し始めるのだった。
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ヨネスケForever
京都のおばあちゃん家の玄関には、謎のフックがある。京都のおばあちゃんと言っても、祖父が亡くなった時にうちの近くに引っ越してもらったので、もう京都には住んでいない。京都の家の玄関にも謎のフックがあったし、いまの家の玄関にも謎のフックがある。小さい頃、そのフックで頭を切ったこともあるんだけど、そういえばあれは何なのだろう。おばあちゃんに聞いてみると、「しゃもじ置き」だと言われた。意味が分からない。
詳しく聞いてみると、おばあちゃんはテレビ番組『突撃!隣の晩ごはん』の大ファンで、いつ自分の家にヨネスケが来てもいいように、「しゃもじ置き」を取り付けているのだという。そういえば、おばあちゃん家の晩ごはんはいつも気合の入ったメニューで、量も気持ち多めだった。そういうことだったのか。
その話をしながら、おばあちゃんは泣き始めた。もしかしたら、もう死ぬまでヨネスケは来ないんじゃないか、そう考えると不安で苦しくなるのだそうだ。おばあちゃん、そこまでヨネスケのことを……
私はおばあちゃんのヨネスケへの想いを手紙にしたため、番組に送った。しかし、待てども待てどもヨネスケは来ない。おばあちゃんも日に日に弱っていっているようにみえる。
ホントかどうかわからないけれど、おばあちゃんの実家は京都の老舗料亭だったらしい。お見合い結婚したおばあちゃんは毎日腕を振るって料理を作ったが、寡黙なおじいちゃんがそれを褒めることは一度もなかったという。だから、他人の家の晩ごはんを褒めてくれるヨネスケに憧れているのかもしれない。
おばあちゃんの想いを知って、もう私はいてもたってもいられなくなった。相変わらずヨネスケがくる気配はない。もうヨネスケには任せておけない。
私は段ボールで大きいしゃもじを作り、アポなしで晩飯時のおばあちゃん家に突撃した。私が、おばあちゃんの晩ごはんを(ヨネスケのモノマネで)褒める!
おばあちゃんは私にお茶漬けを出した。
インターネットR.I.P.
今週のお題「わたしのインターネット歴」
中学時代の私は、『テ〇スの王子様』のなりきり掲示板(マンガの登場人物になりきって書き込む掲示板)で、某先輩(になりきった人)と恋愛ごっこをしていました。ハンドルネームは「御伽緋彩(おとぎひいろ)」です。愛称は「スカーレット」でしたし、現実の学校の友だちにも自分のことをそう呼ばせていました。
高校生の頃のハンドルネームは「†真宵猫†(まよいねこ)」でした。高校生になってすぐに自分のサイトを作り、そこで「普通の女子高生が何故か『戦〇BASARA』の世界に迷いこんで武将とLet's Party!!する」という実にドリーミーな小説を発表していました。サイトのアクセスカウンターは「あなたは〇〇〇人目の迷い人……」となっていて、世界観の構築に余念がありません。
さすがに高校生にもなると、大っぴらにネットでの活動を現実の友だちに話すようなことはしていませんでしたが、『前〇プロフ』には「S ナょ 年上 カゞ ス ≠」などと書いていました。もちろん男性経験など皆無です。
大学生になると、mixiに空の写真とBUMP 〇F CHICKENの歌詞を載せたり、誰と飲みに行ったとか何を買っただとかそういう自分語りをしていました。
でも、こうやって振り返ると、インターネットって本当にすごい速さで進化しましたよね。昔は画像データは重いから控えめにしていたのに、今は動画でもバンバンやりとりできますからね。
室町時代の文献によると、道具は100年ほど経つと付喪神になるそうですが、インターネットは進化が早いので、もしかしたら100年を待たずして付喪神になってしまうかもしれませんね。そしたら、付喪神になって実体化したインターネットから「御伽緋彩」や「†真宵猫†」、フランス発の自己啓発本に影響された私が現れるかもしれません。それは困る。もう過去は過去として、ずっと眠りについていて欲しいのです。
だから、インターネットが付喪神と化してしまう前に、インターネットを葬ろうと思います。私一人の力では無理かもしれないけど、きっと同じように過去を過去のまま葬りたいと思っている人はたくさんいるはずです。ハン〇ームのチャットとかに似たようなテイストのハンドルネームの人たくさんいたし……
怒りの非対称性
数年前、完全に私のミスで数千万円の仕事をふいにしてしまった。けれど、上司は今後同じミスが起きないように具体的な対応を報告するように言って、あとのフォローをしてくれた。めちゃくちゃに叱責されても致し方ないと覚悟していただけに、すごく驚いたし、これがスマートなビジネスマンの姿なのかと感動した。
先日、作った書類を各所にチェックしてもらい、訂正が出るたびに書類を印刷していたら、同じ上司から「紙を無駄にするな!」と怒鳴られた。データ上で回覧して、すべての部署でチェックが終わったら印刷すればいいだろうとのことだ。まぁそれは正論なんだけど、4,5枚の紙でそんなに怒らなくてもいいじゃないかとも思った。
一般的な価値の尺度で言ったら数千万円の仕事をふいにした時の方が、よっぽど怒るにふさわしい場面だったと思う。他人のことはわからないと言うが、上司の堪忍袋の緒がどこにあるのか全然わからなくて怖い。何かささいなきっかけで、再び上司を怒らせてしまうかもしれない。朝スタバで買った豆乳ラテを持って出勤したら、「身の丈に合わぬ!」とお怒りになられるかもしれない。「デュ」とタイピングしたくてD・Y・Uとキーを叩いて「ぢゅ」と表示させてしまったら「二度とマウンテンデューを飲むな!」とお怒りになられるかもしれない。怖すぎる。
わからないのは怒り出すタイミングだけではない。怒りの度合いもわからない。五十万円の損害を出したら五十万怒(怒りの単位)の怒りが返ってくるということではないのだ。白井さんから掛かってきた電話のメモを「ヒライ様より 折り返し連絡が欲しいとのこと」と書いてしまったがために市中引き回しの刑に処されるかもしれない。ミスの大きさと怒りの大きさは比例しないからだ。
いや、もしかして……。
私は経済的な尺度でミスの大きさを測っていたが、それがそもそもの間違いだったのかもしれない。もしかして上司は、紙を無駄にしてしまったことで失われていく森林資源に対して怒っていたのではないか。そう考えると、上司が仕事のミスに対して怒らなかったことにも合点がいく。
引き続き上司の観察をして、この仮説が正しいか検証しよう。ただし、慎重にことを進めなければならない。どこに上司の怒りスイッチがあるかわからないし、上司が植物の化身で、そのことに気づいた者を養分に変えてしまうかもしれないからだ。
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