パンダvsグリズリーベア

 「嘘をついてはいけない」けれども「絶対に嘘をついてはいけない」ということはない。例えば、親がサンタクロースに扮してプレゼントを用意することは許されるだろうし、老人を騙して金を取るのは許されないだろう。じゃあ男子高校生が、過去に彼女がいたと偽るのはどうだろう。許されそうだけど、許さない人も少しはいそうな気もする。

 こんな風に世の中は、○か×かスパッと分かれているのではなくて、モヤッとしたグレーゾーンの中にあるんだと思う。

 小学校の頃、学校にお菓子を持ってくることは禁止されていた。でも、クラスメイトの誕生日で、プレゼントにお菓子を持ってきた子がいた。別にそれくらいいいと思うんだけど、学級委員だったハシモトさんは、それを猛烈に咎めた。あまりの勢いにお菓子を持ってきた子は泣き始めた。そうすると今度はハシモトさんが周りから責められることになった。でもハシモトさんは一切譲らない。
 いま思えば、クラスの女子の大半を敵に回して、よく自分を貫いたなと感心するけれど、傍観していた僕も「もう謝っちゃえばいいのに」と思うくらい、ハシモトさんは劣勢だった。
 どんなに大勢に囲まれてもハシモトさんは自分の主張を変えなかった。その時、ハシモトさんからパンダが飛び出してきた。白黒ハッキリつけたいハシモトさんのスピリットアニマル的なものだったのかもしれない。パンダは、ハシモトさんを責めるクラスメイトを襲いはじめた。かわいいイメージがあるパンダだが、実際にはクマみたいなものだ。小学生などひとたまりもない。
 すると今度は、ハシモトさんに敵対していた女子グループの中からグリズリーベアが飛び出してきた。グリズリーベア、すなわち灰色熊だ。白と黒の間にあるグレーゾーンの象徴だろう。
 教室の中でパンダとグリズリーは激しい戦いを繰り広げた。パンダとグリズリーの体はどんどん大きくなっていき、最終的には教室を飛び出してどこかへ行ってしまった。
 多くのケガ人を出してしまったこの事件だけど、最終的には帰りの会で先生が「誕生日プレゼントとしてのみ、お菓子の持ち込みを許可する。ただし、校内で食べることは許されない」という新ルールを設定し、ケンカをしたもの同士がお互いに謝らせられて幕を閉じた。
 パンダとグリズリーは、後日地元の猟友会に捕獲され、今は別々の動物園で元気に暮らしている。

鏡よ鏡

 小さい頃「白雪姫」に出てくる魔法の鏡に憧れて、手鏡に話しかけていたら、なんと返事をしてくれるようになった。魔法の鏡と言っても、ちょっと受け答えができるってだけだったので、いつの間にか話しかけることもなくなってしまった。そもそも語彙が極端に少ない。ハッキリ言ってSiriとかPepperくんとか、最近の家電の方がよく喋る。

 この前、彼氏にフラれた。というか、こっちがフッたんだけど、原因は向こうの浮気だった。浮気というか乗り換えだ。私よりも可愛くてスタイルもよくて賢い隣のクラスの女の子といい感じになってたらしい。私とは別れるつもりだって周りに言ってたそうなので、先に言い出してあげた。
 そういうことがあったから、私は久しぶりに手鏡に話しかけた。ほとんど何も答えられない手鏡だけど「世界で一番美しいのは誰?」と聞くと、必ず私の名前を言ってくれるのだ。

「鏡よ鏡、鏡さん。世界で一番美しいのは誰?」

 手鏡は、やっぱり私の名前を言ってくれた。でも、そんなことはないっていうのは私が一番わかっている。私は可愛くない。心の中も嫉妬と強がりでいっぱいだ。頭も悪いし怠け者で、そのくせ不満ばっかり。
 私は自分が心底イヤになって、思わず手鏡を叩き割ってしまった。
 我に返ってすぐ後悔したけれど、もう鏡はバラバラになっていて、元には戻せそうもなかった。
 私はゴムボールに鏡の破片を貼り付けてミラーボールを作った。部屋に吊り下げて、辛いことがあった時には光を当てながら部屋を暗くして音楽をかける。音楽をかけて踊る。踊ってるとミラーボールから声援みたいなものが聞こえる気がするけど、たぶん気のせいだ。

ミイラ取りがミイラになるまで

 「ミイラ取りがミイラになる」って諺が好き。
 詳しくは知らないけど、ミイラって内臓抜き取ったり、腐らないように色々工夫したりしなくちゃいけないから手間暇かかるんでしょ? それなのにミイラ取りがミイラになるって、それはもう出世といって差し支えないんじゃないの?
 だいたい、ゾンビじゃないんだから、ミイラには人間をミイラに変える力なんてない。ということは、ミイラ取りは生きている人間に「たとえ手間がかかっても、この人をミイラにしたい」と思わせたってことだよね。なんという人間的魅力の持ち主なんだ。すごすぎる。
 そんな素晴らしい人間が、なぜミイラ取りなんて怪しげな仕事をしているんだろう。ミイラ取りって言葉の響きから言って、たぶんカタギの職業じゃない。おそらく盗掘の類だ。
 きっと、ミイラ取りはスラム街で生まれ育って、スリをして日々を生き抜いてきたんだけど、ある日考古学者の老教授の荷物に手を出して捕まってしまったんだ。でも、その老教授は「そんなに金が欲しいなら、わしの仕事を手伝わんか?」と誘ってくれて、それからミイラ取りは老教授について遺跡を巡るようになった。もう老教授は亡くなってしまったけど、ミイラ取りはすっかり考古学に詳しくなっていて、学者顔負けの知識と経験を持っている。ただ、唯一の家族である妹が難病に苦しんでおり、その手術のためにまとまったお金が必要で、マフィアが持ちかけてきた盗掘の話にのってしまったんだろう。心の中では教授に申し訳ないという気持ちでいっぱいに違いない。
 実はマフィアは最初から金を渡す気などなく、ミイラを手に入れたらミイラ取りを裏切って殺そうとするんだけど、最後に罪悪感と教授への感謝の気持ちからミイラ取りはミイラを守って死ぬ。その様子を見て古代から続く墓守の一族が心を動かされ、ミイラ取りをミイラにした。後日、妹の元には送り主不明の小包が届き、中には古代の装飾品がたくさん詰まっているのだった。
 まぁそういう壮大な物語をもった諺なわけですよ。

森には獣がいる

 いま、私の目の前には木でできた直方体がある。授業で彫刻を作ることになったのだ。ルネサンス期の彫刻家ミケランジェロは、石の中に掘るべき彫刻の姿を見出したと言われているが、私はこの木の塊から何も見出すことができない。むしろ、このままでもいいんじゃないか?
 私は、表面にやすりがけだけして、木を直方体のまま提出することにした。しかし、やすりがけをしているうちに段々と気持ちが変わってきた。なんか、もう少し真ん中あたりが窪んでた方がいいんじゃないか?
 私は私の第六感を信じて、何の形というわけではないけれど、心のおもむくままに木を削っていった。気がつくと木は、どんどんとエロい形になっていた。私は楽しくなって、さらにやすりがけを続けた。ここは滑らかに、ここはもう少しヒダっぽく……
 いつのまにか夜になっていたけれど、ついに私の彫刻が完成した。それは地母神崇拝のために作られた古代の人形のようなフォルムで、やっぱりめちゃくちゃエロい雰囲気を放っていた。会心の出来映えだ。
 でも、これを提出することはためらわれた。あまりにもエロすぎて、私の人格が誤解されるかもしれないからだ。一方で、この世紀の傑作を発表したいという思いもあった。私の彫刻は、特に何という形はしていない。ただ、抽象概念としての「エロさ」が具現化したとしか言いようのない形をしている。
 なんとなくこの彫刻に愛着のようなものを感じていた私は、結局提出する覚悟を決めた。こんな素晴らしいものが日の目を見ないということはありえない。
 美術の時間になり、各々が作ってきた彫刻を提出することになった時、男子たちが何やらザワザワし始めた。そのうちのバカな一人が、ふざけて裸婦のトルソーを作ってきたのだった。なんて下品な。私が本当の「エロさ」を見せてくれるわ!
 でも結局、私は先生に「忘れました」と言って、彫刻を提出しなかった。なんか、あの男子の下ネタと同じステージに立たせたくなかったし、やっぱりこれは自分だけのものにしておいた方がいい気がしたからだ。
 帰り道にある小さな神社(祠?)をこっそり開いて、私はそこに彫刻を納めた。


 その日から、月の夜になると獣の鳴き声が聞こえるようになった気がする。授業には、適当に彫ったネコの彫刻を提出した。

キンチャクガニの憂鬱

 私の家ではみんな、ティッシュを箱の横から取り出して使っていました。そのことになんの疑問も持たなかったし、特に困ったこともありませんでした。だからティッシュの箱の上に穴を開けて、そこから取り出すのを見た時「これはスゴい裏技だ!」と思って感動しました。(実際には、それは裏技でもなんでもなく、ごくごく一般的なティッシュの取り出し方だったわけなんですけれど。)
 イノベーティブなティッシュの取り出し方を知った幼い私は、ドヤ顔(当時そんな言葉はありませんでしたが)で母親にそれを説明しました。
「ほら、ティッシュのここな、こうやって開けると、こうやって取れるんやで!」
 すると母親は、つまらなそうな顔で「知ってるわ。当たり前やん」と言いました。
 幼い私は、自分の発見が認められなかったことにショックを受けました。いま思えば、この経験がいつか母親を驚かせるような発見をしようというモチベーションになったのかもしれません。おかげで私はカニハサミイソギンチャクがどこからやってくるのかを発見することに成功しました。(カニハサミイソギンチャクは、常にカニに挟まれた状態で発見されるイソギンチャクで、それがどこからやってくるのか長年謎とされてきました。)
 このことを母親に報告すると、さすがの母親も「よくわかんないけど、すごいやん」と言ってくれました。しかし、私はまだ満足しません。次は、なぜ正しいティッシュの開け方を知っていた母親が、ティッシュの箱を横から開けて使っていたかを明らかにしたいと思います。

ナンタブくん

 弊社の社内報の表紙の隅っこにいる緑色の奇怪な生命体は「ナンタブくん」と言います。「ナンタブくん」は弊社のマスコットキャラクターとして1967年にデザインされました。しかし、残念なことに知名度は決して高くはありません。そもそも、社内報以外には使われていません。また、社内報で使われているもの以外のイラストカットが作られた記録はなく、実質その1枚だけが「ナンタブくん」のすべてです。
 このように残念な扱いをされている「ナンタブくん」ですが、きちんと商標登録もされており、社の財産として管理されています。4年前、新入社員の私が初めて任された仕事が、この「ナンタブくん」に関わる権利の管理でした。当然、年に4回発行される社内報以外で使われることはありませんので、権利の管理と言っても何もすることはありません。
 大学では知的財産権を専門的に学び、就職したばかりでやる気に満ちあふれていた私は、この「ナンタブくん」関連の仕事に情熱を燃やしていました。何もすることはありませんでしたが、将来的に熊本県の「くまモン」のように年間何百億円を稼ぐビッグコンテンツになるかもしれません。私は「ナンタブくん」がメジャーになった時に備えて、「ナンタブくん」の設定を固めていきました。「ナンタブくん」の性格、家族構成、幼少期のエピソード等々……
 誰に頼まれたわけでもありませんが、勤務時間の大半を「ナンタブくん」の設定作りに捧げました。すると、今まで無味無臭なキャラクターでしかなかった「ナンタブくん」がなんとなく生き生きとしてきました(少なくとも、私の眼にはそう映りました)。
 しかし、4月に発行された社内報に、衝撃的な記事が載っていました。なんと、会社のマスコットキャラクターを作るので、広くアイデアを公募するというのです。おいおいおい、じゃあ表紙にいるキャラクターはなんなんだよ。すぐさま広報課に問い合わせましたが、「ナンタブくん?何のことですか?」というような反応でした。その程度の認知度だったわけです。
 私は悔しくて悔しくて、禁忌を犯してしまいました。その公募に4年間あたためてきた「ナンタブくん」の設定を添えて提出したのです。(知的財産権の保護という観点に立てば、すでに商標登録されているキャラクターをコンペに提出することは、権利の侵害にあたります。)
 4年間、とてつもない熱量を込めて作ってきた「ナンタブくん」の設定資料は、とてつもない厚さになりました。特に「ナンタブくん」が高次生命体とのチャネリングを通して、アセンションのきっかけを掴み、5次元波動に達する「ナンタブくん〜13回目の宇宙編〜」は読みごたえ抜群です。ちょっと考えてみた程度のアイデアが、この壮大な「ナンタブくん」の世界に勝てるわけはありません。
 先日発行された社内報7月号に、この公募の結果が載っていました。採用されるのは「きこりい」という山ガール的いでたちのキャラクターに決まったということでした。私が提出した「ナンタブくん」は「たくさんのご応募ありがとう!」の13文字の中に消えて行ってしまいました。
 さっそく私の仕事も「きこりい」に関わる権利の管理に変わりました。10月号の社内報からは、この「きこりい」が表紙に使われるそうです。

夫の女装

 年に一回くらいのペースで、夫が女装をしたがるので化粧をしてあげている。
 一番最初は私から始めたんだったと思う。大したスキンケアもしてないくせに、意外と綺麗な肌をしていることに気づいて試しに化粧をしてみたら、その出来映えを見て夫もまんざらではない様子だった。
 それから一年くらい経って、今度は夫の方から化粧をしてくれと言ってきた。そんなことが何回かあった。
 正直、最初はちょっと戸惑った。もしかして私の軽率な行動が、夫の新しい扉を開いてしまったんじゃないかって。
 でも、最近は考え方が変わってきた。もしかしたら、夫も私の知らないところで男という役割に苦しんでいるのかもしれない。仕事をしていて理不尽な思いをして「私が男だったらなあ」と思ったことがあるけれど、その逆みたいなことを感じる瞬間があるのかもしれない。
 そう考えるようになってから、私は夫が化粧をしたいと言い出した時には、喜んで協力することにしている。次に言い出した時には、スカートを履かせようと思って、こっそり服も用意した。
 昨日、夫が化粧したいと言い出したので、満を持してスカートを披露した。スカートを履いた夫は満足そうな顔をして「足がスースーする!スースーする!」と大はしゃぎだった。


 普段部屋の中をパンツ一丁で過ごしてるやつが何を言っているんだ。