野良ヒトシマツモトにすべらない話をさせられた話

今週のお題「#平成最後の夏」

 

 自分で言うのもなんだけど、私はシャイだ。いや、シャイという言葉は気取ってる感じがするな。なんか爽やかな響きがありません? シャイって。清潔感ありますよね。

 シャイというより口下手かな? でも口下手って言うと、ちょっと文学的響きがあるような気がしてしっくりこないな。なんか欠点っていうよりもチャームポイントみたいな気がしてくる。

 じゃあコミュ障か? いやー、コミュ障っていう言葉も、何年か前から急速に市民権を得て、障害という強い言葉を伴ってるわりには、ライトな印象がある。

 とにかく私は人と話すのが苦手だ。自分が声を出すと、自然な会話の雰囲気を破壊しているような気がする。かといって、何も言わないと場が凍る。胸にボイスメモを入れて、録音した人の会話をずっと聞いて勉強したこともある。

 その中で発見したのは、相づちの基本は共感と促進だということだ。例えば、相手が苦労したエピソードを話したら「大変でしたね」というようなことを言えばいい。大切なのは言葉の内容ではなく、声のトーンや表情だ。これは基本的に話している相手のものを真似すればよい。もう一つは、相手の話を促す合いの手だ。相手がまだオチを話していないなと思ったら「それでそれで?」というように、続きに興味を示せばよい。

 この法則を身につけてから、なんとか人並みに人の話を聞くことができるようになった(と思う)。ただ、自分が話すのは未だに苦手だ。だから、毎晩夜寝る前に、翌日会話する可能性のあるシチュエーションを想像し、シミュレーションをしながら眠る。朝、デスクに着いたら、挨拶をして、気温の話をしよう。夜は寝苦しかったみたいな話をすれば大丈夫だ。天候の話は鉄板だから、大丈夫、大丈夫…

 そんなコミュニケーション弱者の私に、地獄がやってきた。ヒトシマツモトとの飲み会がセッティングされたのだ。もちろん、本物の松本人志じゃない。飲み会で若手に「何かおもしろい話をしろ」とふってくるので、みんなからヒトシマツモトとあだ名されているのだ。

 そんなところ、本当なら死んでも行きたくないが、これも仕事のうちだ。ヒトシマツモトの前でおもしろい話を披露できた者は、その後成功するとかしないとかっていう噂もある。

 私は、即興でおもしろい話をする才能はない。あらかじめ練っておかなければ。

 おもしろいといえばゴリラだろう。小学生の頃、みんな替え歌にゴリラを混ぜていた。嫌いな先生をゴリラって呼べば笑えたし、それだけゴリラという言葉の持つおもしろパワーは偉大なのだ。

 あとは、失敗談がいいだろう。トホホなエピソードは、誰かを傷つけることなく笑いが取れるし、私のキャラクターとも合っている。

 問題は、どうやって私とゴリラを結びつけるかだ。まぁその辺は、うまいこと脚色しよう。最近の私の失敗談といえば、気持ちよく歌いながら自転車に乗っていたら、実は聞かれていたというよくあるやつだ。これにゴリラを混ぜる。

 

「自転車に乗っていたら、平成最後の夏の終わりを感じて、つい歌いたくなってきたんですよ。それでT.M.Revolutionの『HIGH PRESSURE』を口ずさんでいたんですが、この歌が流行ったとき、私は小学生だったので、ついその時の替え歌で歌っちゃってたんですね。『ゴリラを夏にシテ ジャングルに さあ行こう ゴリラを制する者だけが ゴリラを制する もうゴリラを決めちゃって…』って感じです。それで、ふと横を見たら、動物園の輸送トラックがずっと並走していたんですよ。やばっ、恥ずかしいなー、って思ったら、なんと檻にゴリラがいて、こっちをジーッと見てるんです。なんか、哀しそうな瞳をしてましたね…」

 

 考えすぎて頭がおかしくなっていた私は、このような捏造おもしろエピソードを引っさげて、ヒトシマツモトとの飲み会に挑みました。全身から発せられるノリの悪そうな奴オーラを察知したのか、ヒトシマツモトは私に話をふることなく、飲み会は盛り上がらないまま終わりました。

 冷静に読み返すと全然おもしろくないエピソードですが、披露されることのなかった輸送中のゴリラの哀しい瞳がずっと私の脳裏に焼きついて離れません。