ゴリラの握力1t

 美味しいものを食べ過ぎて太る。これはわかる。「食べ過ぎ」と「太る」で罪と罰のバランスが取れているからだ。でも、ストレスでハゲるのは意味がわからない。「ストレス」は罪ではないのに、「ハゲる」は罰だからだ。

 誰も好きこのんでストレスを抱えたりはしない。仕事だって、しなくていいならしたくない。就活本には、働くことは社会貢献することだと書いてあった。それが本当なら、労働は善行じゃないか。なぜ善行を積んでいるのにストレスを感じなければならないのだ。ヨブ記(旧約聖書に載ってる酷い目にあっても神様を信じ続けた人の話)か。

 とにかく仕事のストレスでハゲるどころか、頭がおかしくなりそうだったので、問題を解決するために、冷静に分析をしてみた。

 わたしのストレスの原因は、わたしがゴリラではないことだった。ふざけている訳ではない。ちょっと考えてみてほしい。クライアントの無茶な要求、上司からの実行不可能な指示、後輩の勝手な行動、これらのストレスの原因は一見バラバラに思える。

 しかし、わたしがゴリラだったらどうだろうか。ゴリラに無茶な要求を押しつけられるか? ゴリラに変な指示が出せるか? ゴリラの言うことを無視できるか? 答えはNOだ。

 つまり、わたしが常時髪の毛の湿っている色白ヒョロガリだから、周囲からストレスを与えられるのであって、わたしがゴリラだったら、みんなわたしに気を遣って、ストレスなく生活ができるに違いない。ゴリラになりたい。

 そんなことを考えながら過ごしていたら、近所に気の触れたマッドサイエンティストがいて、ゴリラの肉体に人間の頭脳を移植したがっていて、新鮮な人間の脳みそを探しているということだった。

 さっそく私は、その実験に志願した。怪しい金属製のベッドに縛りつけられて、麻酔をかけられて、気がついたらゴリラになっていた。最高だ!

 これからはストレスレスライフを送れるぞ! 満員電車でも肩をぶつけられたり、足を踏まれたりしないだろう。(ゴリラを怒らせてうんこを投げられたりしたらイヤだから)(わたしはゴリラだけど、脳は人間なのでそんなことはしないけど)

 意気揚々と家を出て、しばらくしたら麻酔銃を構えた警官隊に取り囲まれた。気がついたら、よくわからない研究所のようなところだった。

 あれ以来、少し賢いゴリラとして研究所で暮らしている。自由が制限されることもあるけれども、ストレスは少ない。テレビも自由に見れる。この前、電車の中でうんこを投げつけたサラリーマンがニュースになっていた。きっと、肩でもぶつけられたんだろう。