う さ ぎ お い し か の や ま

 「ふるさと」といえば、一面の田んぼ、その先には山、茅葺屋根の家には縁側があって、僕はそこから夕日が沈むのを眺めているのが好きだった。そんな風景が思い浮かぶ。

 でも、実際には千葉の工業地帯生まれだし、アパートかマンションにしか住んだことがない。それでも「ふるさと」っていう文字列を見ると農村の風景が思い浮かぶんだから不思議なもんだ。

 きっと、千葉の工業地帯から出ないまま大人になり、地元の小さな会社に就職したので、いま住んでる場所とふるさとが未分化なのだ。だから、「ふるさと」という言葉を見ると、本当のふるさとではなく、テンプレ化したイメージのふるさとが浮かんでくるんだろう。詩人の室生犀星は「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と書いたけど、ふるさとがあまりに近すぎる。

 ああ、ふるさとを持つ人がうらやましい。私も、都会の喧騒に疲れた時に、ふと入った居酒屋でふるさとの味に出会って涙したい。ふるさとから遠く離れた場所で同郷の人と知り合って、地元あるあるで盛り上がったりしたい。

 もうふるさとを捏造しようかな。実は私はカリフォルニアの研究所で作られた人工生命体で、誕生してから政府の研究施設を転々としてきたから、「ふるさと」って言われても、試験管しか思いつかないや…

 どう? カッコよくない? キャラ作りのために、ふるさと納税NASAにします。