赤面症の思い出

 昔っから人と話しているとすぐに顔が赤くなっちゃって、それがずっとコンプレックスというか、ちょっと恥ずかしかった。思春期の頃に「リンゴちゃん」とか「トマト」とか呼ばれるのも、相手に悪意はないのはなんとなくわかってたけど、イヤだった。あと「天狗」と呼ぶやつもいたけど、流石にこれは悪意を感じたので神隠しにしてやった。まあとにかく、そのせいでイマイチ自分に自信を持てなかったことは間違いない。

 だから、わりかし簡単な施術で解決できるって知ったときは、うれしくて「バンザイ21世紀! バンザイ科学!」って思った。科学が天狗を駆逐するのだ。

 赤面症っていうのは、自律神経のなんやかんやで、顔に血が多く集まっちゃうことで起こるわけで、血が赤くなければ起きないってことらしい。だから、血の色を変える治療を受ければ根本から解決ってわけ。

 スタンダードなのは血の色を透明にしちゃうやつで、肌の色も白くなるから特に女性に人気っていうことだったんだけど、わたしはあえて緑色にしてみた。透明だとケガで出血したときに気がつきにくそうだし、緑はなんかオーガニックな感じがするから。

 1日だけ入院して、無事に私の血は緑色になった。心なしか顔色が悪くみえる気もするし、今まで使ってたファンデーションなんかも合わなくなっちゃったけど、人と話しても顔が赤くならないはず。血が集まっても緑になっちゃうからね。

 血の色を変えてから、人に話しかけられてはじめて顔がカーッとなるあの感じがきて、反射的に「ああ、また顔が真っ赤になっちゃう!」と思ったけど、実際にはわたしの顔は緑色になった。やった! ついに! 赤面症を! 克服したぞ!

 顔が赤くならないとわかってから、わたしはなんだか自信が持てるようになった。そのおかげか、人と話していても、顔が緑色になることもあんまりなくなった。いまでは、お風呂とか運動とかで血行が良くなったときにうっすら緑みがかるだけだ。それを「ピッコロさん」とか「ガチャピン」とか呼ばれるけれど、全然イヤだとは思わない。それがわたしだから。ただ「河童」と呼ぶやつは、なんか許せなかったので尻子玉を抜いておいた。

逡巡しない強さ

 「人間は考える葦である」とパスカルは言った。人間のすばらしさは思考のすばらしさということだけど、本当かな。いつだって考えることが正しいとは限らない。

 パスカルも言っていたように、人間は弱い。葦のように弱い。というか葦よりも弱い。カネがないと死ぬからな。カネ・カネ・カネ。死にたくないのでバイトをした。クリスマスケーキの販売だ。

 そもそもクリスマスはカネを使わせるためのイベントだ。ギフト!プレゼント!贈り物!だから俺はあえてこの日にカネを稼ぐ。何も買わない。

 バイトは、俺ともう一人、見るからに体育会系なカラダのデカい大学生だった。辛気臭い男(俺)とマッチョ。どう考えてもクリスマスケーキを売るのには不向きだ。

 バイトには衣装が2種類用意されていた。サンタ服とトナカイの着ぐるみみたいなやつだ。社員さんから「どっちにする?」と聞かれて、マッチョは「サンタ!」と即答した。私は外での販売は寒そうなので、トナカイの着ぐるみの方があったかくていいと考えた。プラスチックの赤い鼻をつけるので、顔が見えにくくなるのも都合がいい。

 それから社員さんは「味見してみる?」と言って、ケーキをすすめてくれた。俺はありがたくいただいたが、マッチョは「ケーキは筋肉がしぼむので大丈夫です」と断った。筋肉がしぼむってなんだよ。ケーキの味は、どことなく物足りない感じだった。よく言えば「上品な甘さ」といったところだろうか。

 実際に外に出てケーキを売り始めると、着ぐるみは思ったより暑かった。あまりに暑くて我慢できなくなったから、途中から下着姿で着ぐるみに入った。シャツがビチョビチョだ。きっと帰り道で冷えて寒い思いをする。

 一方でマッチョは、カラダがデカすぎてサンタ服がパツンパツンだった。特に肩回りがキツくて、腕が回せなくなっていた。そのせいで、すごく不自然な動きでケーキを運んでいた。

 ケーキを売っていると、女子大生っぽい人がきて「これ美味しいですか?」と聞いてきた。俺は「甘すぎないのが好きなら」と答えたが、隣にいたマッチョは「世界一美味しいです」と言った。

 ま、負けた。

 なんだかよくわからないが、とてつもない敗北感を味わった。そもそもマッチョはケーキの味見すらしてない。どう考えても俺の答えの方が、質問に対して誠実だ。でも、どっちからケーキを買いたいかと言ったらマッチョの方だろう。仮に俺からケーキを買ったとしても、「甘すぎないのが好きなら」なんて聞いてしまったら、食べたときに「やっぱ甘さが足りないなあ」と思ってしまうかもしれない。俺の答えは誰も幸せにしない。ただの筋肉バカだと侮っていてごめんよ。

 結局、その客もケーキを買わないで帰ったし、例年に比べてケーキは全然売れなかったらしい。なんとなく申し訳ない気持ちになって、俺はケーキを1つ買い取って帰った。

メビウス

 帰路にファミチキを買って、食べながら帰るというのを習慣にしている。これがランチにサラダチキンを食べるのを習慣にしているってなると途端に健康的な感じになるから不思議だ。この世界は少し座標がズレるだけで意味が大きく変わってくる。

 いつものようにファミチキを買おうとすると、珍しくレジが混んでいた。1番前の男が「メビウス、ロング」と言った。メビウスといえば、メビウスの輪だが、ここではタバコの銘柄のことだ。すると店員の若者が「番号でお願いします」と言った。私はタバコを吸わないのでよくわからないが、タバコにはソフトだのボックスだの、メンソールだのライトだの、色んな種類がある。だからコンビニでは番号がつけられているのをよく見る。

 「メビウスのロングっつてんだろ。商品のことくらいわかっとけよ」と男は声を荒げた。店員は「自分、タバコ吸わないんで」とムッとした様子だ。店内に緊張感が走る。

 すると、その後ろに並んでいた別の客が「後ろ詰まってるんだから早くしろよ」と言った。新たな火種が! このままではコンビニが戦場と化してしまう!

 そんな私の心配をよそに、タバコを買おうとした客は大人しく番号を伝え、帰って行った。

 次の客も「メビウス、ロング」と言った。メビウスといえば、フランス漫画界の巨匠メビウスだが、ここではタバコの銘柄のことだ。すると店員の若者が「番号でお願いします」と言った。この客はさっきのやりとりを見てなかったのか。なぜ同じ過ちを繰り返す。

 「メビウスのロングっつてんだろ。商品のことくらいわかっとけよ」と男は声を荒げた。店員は「自分、タバコ吸わないんで」とムッとした様子だ。店員も店員で、さっきと同じ注文なんだから、サッと商品を渡せばいいのに。また店内に緊張感が走る。

 すると、またしてもその後ろに並んでいた別の客が「後ろ詰まってるんだから早くしろよ」と言った。また新たな火種が! このままではコンビニが戦場と化してしまう!

 そんな私の心配をよそに、タバコを買おうとした客は大人しく番号を伝え、帰って行った。

 二度あることは三度あると言うが、なんと次の客も「メビウス、ロング」と言った。メビウスといえば、ウルトラマンシリーズ誕生40周年記念作品として制作された『ウルトラマンメビウス』だが、ここではタバコの銘柄のことだ。すると店員の若者が「番号でお願いします」と言った。このやりとりを見るのは3回目だ。何かのドッキリか。

 「メビウスのロングっつてんだろ。商品のことくらいわかっとけよ」と男は声を荒げた。店員は「自分、タバコ吸わないんで」とムッとした様子だ。またまた店内に緊張感が走る。

 次の展開は知っている。でも今回、後ろに並んでいる客は私だ。「後ろ詰まってるんだから早くしろよ」と言べきなのか。メビウスは無限の比喩として使われる。「メビウス」というタバコの名前が、この不思議空間を生み出してしまったのか。ここでもし私が「後ろ詰まってるんだから早くしろよ」と言わなかったらどうなるんだろう。メビウス状の空間が引きちぎれ、世界がバラバラに崩壊してしまうのではないか。

 客とトラブルとなるよりも、世界の崩壊を恐れた私は「後ろ詰まってるんだから早くしろよ」と言った。やはりタバコを買おうとした客は大人しく番号を伝え、帰って行った。

 次は私の番だ。ここまで来たら、最後までこのわけのわからないルールに乗っかってやる。私は「メビウス、ロング」と言った。もちろん店員の若者は「番号でお願いします」と言った。「メビウスのロングっつてんだろ。商品のことくらいわかっとけよ」と私はノリノリで声を荒げた。店員は「自分、タバコ吸わないんで」とムッとした様子だ。

 ここで大誤算。なんと私の後ろには誰も並んでいなかったのだ。私は大人しくタバコの注文をキャンセルして、ファミチキを買った。ただ、いつものファミチキじゃなくてサラダチキン(鶏胸肉)を使った「ファミチキヘルシー」にしてみた。ジューシーさが足りなかった。

見斬りのオファー

 福本清三さんを知っているだろうか。時代劇で斬られ役を演じ続け、「5万回斬られた男」という異名を持つ俳優だ。テレビで紹介されているのを見て、俺は体に稲妻が走るのを感じた。

 あくまで裏方として相手を輝かせる姿勢、斬られ役に特化することで獲得した唯一無二の個性。俺は福本清三さんに憧れて、自分もそういう俳優になりたいと思った。

 ただ、同じように斬られ役を目指しちゃダメだ。唯一無二の存在になるためには、ニッチな需要に高いレベルで答えなければ。

 「巨大なゴリラに握りつぶされる役」と迷ったが、俺は「体の内側から爆ぜる役」で世界を獲ることに決めた。主にSF映画の序盤で、謎の存在に殺される役どころだ。ただ殺されるのではなく、常識的にはありえない「体の内側から爆ぜる」という死に方をすることで、相手が人知を超えた存在であることや、その恐ろしさを引き立てることができる。

 最初はすごく苦労した。体が内側から爆ぜたことなどないので、どう表現すればいいか、そのとっかかりが掴めない。何度もレンジで卵を爆発させて観察したり、キンキンに冷やした鉄球を飲み込んで、体の内側を感じてみたりした。

 自分の演技に納得できるようになってからも、つい初心を忘れて目立ちすぎてしまったり、仕事のえり好みをしすぎて食えなくなったりした(「体の内側から爆ぜる役」を必要としている作品は多くない)。

 最近ようやく認知されてきて、なんとか俳優業だけで暮らしていけるようになった。

 そんな中で、ちょっと大きい仕事が入ってきた。人気沸騰中の若手俳優を主演に据えた、人気漫画の実写化の話だ。望まずしてエスパーになってしまった主人公が、邪悪なサイキック軍団に立ち向かうというストーリーだ。俺の役はもちろん、序盤で悪のエスパーの超能力で、体が内側から爆発して死ぬ役だ。その死によって主人公が戦う決意をするという大事な役で、俺の過去の仕事を知っているスタッフさんがいて、オファーに繋がった。

 俺は気合をいれて撮影に臨んだが、主演の俳優がスキャンダルを起こし急遽降板、代役を立てることとなった。その後も、監督がプロデューサーと対立しスッタフが全員辞める等など、信じられないようなアクシデントが連発した。挙句の果てに原作者が実写化を拒否し、ストーリーにも大幅な変更が加えられることになった。

 そもそも、旬な若手俳優で一稼ぎしようという見切り発車的な企画だったらしいが、すでに劇場をおさえてしまっているので、今さら制作中止という訳にもいかない。やぶれかぶれで撮影は続いた。

 完成した映画は、なんだかよくわからない青春恋愛ムービーのようなものになり、私の役は「発作的に体が内側から爆発しそうになるクラスメイト役」となった。セリフもなければ爆発もしない。

 映画の評価は散々で、邦画史上最低の作品などと言われた。どうせ悪口しか書かれていないから読まなければいいのに、俺は気になってネット上の感想を読み漁った。

 その中に「いまにも爆発しそうなモブがいて草」というコメントを見つけた。俺は自分の演技が届いていることを知り、静かに泣いた。

メシの量が足りないのが死ぬほど怖い

 評判がよかったので、久しぶりに映画館に行って『ボヘミアン・ラプソディ』を観にいった。はみ出し者が成功して挫折して大切なものに気づく的なお話で、ありきたりで全然面白くなかった。

 それから数日経って、話の流れからバイト先の先輩と『ボヘミアン・ラプソディ』を観にいくことになった。密かにバイト先の先輩に憧れていたので、初見を装った。先輩がどんな感想を抱くにしろ、共感を示した方がいいと思ったからだ。

 2回目に観た『ボヘミアン・ラプソディ』は最高だった。フレディ・マーキュリーの不器用さと孤独が、自分の中にスッと入ってきた。最後のライブシーンでは、思わず泣いてしまった。俺たちはチャンピオンだ!

 なんでこんなに感想が変わったのか。自分の同一性が信じられなくなってしまった。

 冷静になって考えてみると、1回目は、上映時間がギリギリでお腹が空いたまま映画を観た。これが原因じゃないか。そういえば、昔からお腹が空いていると「なんか機嫌悪い?」と聞かれることが度々あった。自分ではあんまり意識していなかったけど、空腹だと物事を楽しめなくなってしまう性質なのかもしれない。

 そのことを自覚してから、お腹が空くのが怖くなった。お腹が空いていると、人生を楽しめないような気がする。常にお腹いっぱいでいたい。

 なるべく大盛無料やおかわり自由のお店に行くようになった。ちょっとしたお菓子を持ち歩くようになった。

 努力のかいがあってか、最近は「なんか機嫌悪い?」と言われることはなくなり、代わりに「なんか丸くなった?」と言われるようになった。やったぜ!

気弱センサー

 私は気が弱い。

 ご飯を食べに行って、注文したものと違うものが出てきても黙って食べるし、この前も満員のエレベーターで足を踏まれたまま9階まで運ばれた。美容院では、もう少し切って欲しくてもOKを出すし、店員さんに勧められたものを買わないのは悪い気がする。

 損な性格だと思うけど、そのおかげで大きなトラブルに遭わなくて済んでいるんだと思う。

 ただ、気が弱い人はなめられやすい。

 世の中には「気弱センサー」とでも言うべきものを持っている人がいて、そういう人は初対面でも気が弱い人間を察知できる。そして、相手が強く出てこないのをいいことに、グイグイくるのだ。

 先日、引っ越しする必要に迫られて不動産屋さんに行った。運悪く、私の担当になった人が「気弱センサー」を持っていた。住みたいエリアと家賃を伝えると早速いくつかの物件を見にいくことになった。

 こういう時、不動産屋さんはちょっと残念な物件を見せてから、徐々にいい物件に連れていき、最後に行ったところに決めさせるという手段を使うことが多いらしい。

 最初に連れて行かれた物件は、仕切りのない部屋だった。キッチン、トイレ、風呂、それらすべてがだだっ広い部屋の中に並んでいる。不動産屋さん曰く「自由度の高い部屋」らしいが、この自由度の高さを活かせる気がしない。

 次に紹介された物件は、幽霊がでるという噂のある、いわくつきの部屋だった。不動産屋さんがいうには、この部屋はもともと定食屋を営んでいた仲のいい老夫婦が住んでいたらしい。まず奥さんの方が体調を崩して亡くなってしまい、ほどなくして旦那さんの方もこの部屋で息を引き取ったということだ。

 何か凄惨な事件があったわけではなく、二人とも天寿を全うしたといえる穏やかな死に方だったそうだが、なぜか幽霊になってしまった。

 私が内見に行った時にもいた。穏やかな表情を浮かべた老夫婦が、部屋の真ん中に座って何かを話している。少し透けてるところと、触ろうと思っても触れないところを除けば、めちゃくちゃ普通のおじいさんおばあさんだ。不動産屋さんは「特に害はないッスよ」と言っていたが、さすがに落ち着かない。

 最後の物件は、築3年駅近のいい物件だった。ただし、ちょっとだけ沼に沈んでいる。「沼が気にならなければ最高の物件ッス。自分で住みたいくらいッスよ」と不動産屋さんは言った。沼が気にならないってどんなやつだよ。

 でも先に見た物件でいい具合に価値観を揺さぶられていた私は、その部屋をいい部屋のように感じてしまい、契約してしまった。

 そういう訳で沼に住んでいるので、いつも靴がグショグショに濡れている。この前、映画館に「ボヘミアン・ラプソディ」を観にいったんだけど、足元のグシャグシャ感が気になって全然集中できなかった。おじいちゃんおばあちゃんの幽霊も「気弱センサー」を持っていたのか、あの内見以来私に取り憑いている。

 こんな僕ですけど、どうですか? 霊とかグショグショが気にならなければいい物件ですよ。

わかって下さい

 私の勤めている会社は、流行りの家電の見た目だけをパクったチープな製品を作っています。私が初めて関わった仕事はiPodにそっくりのキッチンタイマーでした。最近ではApple Watchそっくりのデジタル腕時計、ルンバそっくりのラジコン、Google Homeそっくりのただのスピーカーを作りました。(ルンバそっくりのラジコンは自信作です。クイックルワイパーのシートを装着することで、実際に掃除もできます。)

 こうやって振り返ってみると、IT関係の製品(に似たもの)を作っていることが多いからか、うちの社長はどこか自分をIT業界の社長だと思い込んでいるふしがあります。先日も、(本来まったく異業種である)ソフトバンク孫正義社長の経営手腕にダメ出しをしていました。その際に、うちの社長は孫正義さんのことを「孫はダメだ〜!俺は孫が嫌いだ〜!」などと苗字で呼び捨てにしていました。

 それが面白くって、私は「孫、孫って、そんなに言うのは社長とピッコロさんくらいですね」と言いました。すると、その場が凍りつき、ものすごい空気になりました。私はしどろもどろに「あ、ほら、ドラゴンボールのピッコロは、悟空のことを孫って呼ぶじゃないですか」などと口にしましたが、その言葉は虚空へと消えていきました。それからどうなったかは覚えていません。気がつくと私はアパートに帰っていました。

 私は、ユーモアのつもりで言ったのです。みんなを笑顔にしたいという気持ちで言ったのです。何が間違っていたのか、振り返ってもわかりません。きっと、私の存在自体が何か間違っているのでしょう。また今回みたいなことをしでかして、そのことがバレないように、これからはなるべく黙っていることにします。