メビウス

 帰路にファミチキを買って、食べながら帰るというのを習慣にしている。これがランチにサラダチキンを食べるのを習慣にしているってなると途端に健康的な感じになるから不思議だ。この世界は少し座標がズレるだけで意味が大きく変わってくる。

 いつものようにファミチキを買おうとすると、珍しくレジが混んでいた。1番前の男が「メビウス、ロング」と言った。メビウスといえば、メビウスの輪だが、ここではタバコの銘柄のことだ。すると店員の若者が「番号でお願いします」と言った。私はタバコを吸わないのでよくわからないが、タバコにはソフトだのボックスだの、メンソールだのライトだの、色んな種類がある。だからコンビニでは番号がつけられているのをよく見る。

 「メビウスのロングっつてんだろ。商品のことくらいわかっとけよ」と男は声を荒げた。店員は「自分、タバコ吸わないんで」とムッとした様子だ。店内に緊張感が走る。

 すると、その後ろに並んでいた別の客が「後ろ詰まってるんだから早くしろよ」と言った。新たな火種が! このままではコンビニが戦場と化してしまう!

 そんな私の心配をよそに、タバコを買おうとした客は大人しく番号を伝え、帰って行った。

 次の客も「メビウス、ロング」と言った。メビウスといえば、フランス漫画界の巨匠メビウスだが、ここではタバコの銘柄のことだ。すると店員の若者が「番号でお願いします」と言った。この客はさっきのやりとりを見てなかったのか。なぜ同じ過ちを繰り返す。

 「メビウスのロングっつてんだろ。商品のことくらいわかっとけよ」と男は声を荒げた。店員は「自分、タバコ吸わないんで」とムッとした様子だ。店員も店員で、さっきと同じ注文なんだから、サッと商品を渡せばいいのに。また店内に緊張感が走る。

 すると、またしてもその後ろに並んでいた別の客が「後ろ詰まってるんだから早くしろよ」と言った。また新たな火種が! このままではコンビニが戦場と化してしまう!

 そんな私の心配をよそに、タバコを買おうとした客は大人しく番号を伝え、帰って行った。

 二度あることは三度あると言うが、なんと次の客も「メビウス、ロング」と言った。メビウスといえば、ウルトラマンシリーズ誕生40周年記念作品として制作された『ウルトラマンメビウス』だが、ここではタバコの銘柄のことだ。すると店員の若者が「番号でお願いします」と言った。このやりとりを見るのは3回目だ。何かのドッキリか。

 「メビウスのロングっつてんだろ。商品のことくらいわかっとけよ」と男は声を荒げた。店員は「自分、タバコ吸わないんで」とムッとした様子だ。またまた店内に緊張感が走る。

 次の展開は知っている。でも今回、後ろに並んでいる客は私だ。「後ろ詰まってるんだから早くしろよ」と言べきなのか。メビウスは無限の比喩として使われる。「メビウス」というタバコの名前が、この不思議空間を生み出してしまったのか。ここでもし私が「後ろ詰まってるんだから早くしろよ」と言わなかったらどうなるんだろう。メビウス状の空間が引きちぎれ、世界がバラバラに崩壊してしまうのではないか。

 客とトラブルとなるよりも、世界の崩壊を恐れた私は「後ろ詰まってるんだから早くしろよ」と言った。やはりタバコを買おうとした客は大人しく番号を伝え、帰って行った。

 次は私の番だ。ここまで来たら、最後までこのわけのわからないルールに乗っかってやる。私は「メビウス、ロング」と言った。もちろん店員の若者は「番号でお願いします」と言った。「メビウスのロングっつてんだろ。商品のことくらいわかっとけよ」と私はノリノリで声を荒げた。店員は「自分、タバコ吸わないんで」とムッとした様子だ。

 ここで大誤算。なんと私の後ろには誰も並んでいなかったのだ。私は大人しくタバコの注文をキャンセルして、ファミチキを買った。ただ、いつものファミチキじゃなくてサラダチキン(鶏胸肉)を使った「ファミチキヘルシー」にしてみた。ジューシーさが足りなかった。