インド風サザエさん症候群

 「サザエさん症候群」っていう言葉がある。日曜日の夕方頃になると、休みの終わりと日常のはじまりを強烈に意識して鬱々となってしまう状態のことだ。まぁ気持ちはわからないでもないけれど、わたしは割と仕事にやりがいを感じているし、そこまで嫌いでもないので、幸いなことにサザエさん症候群にはなっていない。日曜日にはしっかり休んで、月曜に備えている。むしろ、問題なのは水曜日だ。

 わたしはカレーが好きだ。カレーを好きじゃない人なんていないだろうから、この自己紹介は「わたしは人間です」と言っていることとほぼ同義なわけだけど、わたしは毎日カレーを食べる程度にはカレーが好きだ。最早それは好きという気持ちを超越した信仰に近い感情だ。カレーを食べることに好きという感情はない。それは太陽が東から昇るように、コーラを飲めばげっぷが出るように当然のことなのだ。

 イチローは毎朝カレーを食べるらしい。もちろん、それはカレーが好きだという人類共通の感情がベースにあるのだろうけれど、やっぱり毎日となると、それは好きという気持ちを超越した崇高な何かだと思う。カレーはルーティンというわけだ(ルーだけに)。

 私の場合は、ランチにカレーを食べることを毎日の日課にしている。職場の近くにあるカレー屋「カーマ」のカレーは最高で、ランチはここと決めている。問題は定休日の水曜日だ。仕方がないので、水曜日はコンビニで買ったカレーや、自分で作ったカレー、有名チェーンのカレーを食べるのだが、「カーマ」のカレーと比べるとどうも物足りない。なんだか元気が出ない。それで水曜日は憂鬱だ。

 最近では、水曜日がやってくるのが本当にイヤでイヤで仕方なくなってきて、火曜日の夕方頃には既に憂鬱な気分だ。これも一種のサザエさん症候群だろうか。そういえば、昔は火曜日にもサザエさんが放送していたなぁ。ハァ……

わたしのバイブル

 意外なことに、女子は少年マンガをそんなに読まない。もちろん少年マンガが好きな女子は少なくないけど、少年マンガを一切読まないという女子も結構いる。

 わたしは、お兄ちゃんがいたから、少年漫画を借りてよく読んだし、お兄ちゃんもわたしの少女マンガをよく読んでいた。

 最近は少年とか少女とかでマンガを分類すること自体、なんだか時代遅れっていう気もするけど、まぁとにかくお兄ちゃんのおかげで読むマンガの幅が広がったのは事実だと思う。

 お兄ちゃんから借りたマンガで、わたしが1番感動したマンガは『天-天和通りの快男児』だ。この『天』は、簡潔に言えば麻雀マンガなのだが、わたしはこのマンガに出てくるアカギというキャラクターに心を奪われた。

 アカギの魅力について完璧に説明しきる自信がないので簡単に説明すると、アカギは麻雀がめっちゃ強いおじさんだ。『天』では、麻雀がめっちゃ強いおじさんとして登場して、最終的にはみんなに愛されながらも安楽死した。もちろん、これでは全然アカギの魅力を伝えきれていないので、未読のみなさんには是非『天』を読んでもらいたい。

 わたしだけでなく、アカギに心奪われた人は大勢いたのであろう。アカギは『天』から飛び出して『アカギ』というスピンオフを獲得した。アカギの青年時代の物語だ。最高。

 わたしはアカギにめちゃくちゃ影響を受けた。アカギのセリフのひとつひとつが、わたしの人生観をつくった。特にアカギが弾の入った拳銃を咥えて言った「狂気の沙汰ほど面白い…!」というセリフはわたしの人生を変えた。(ちなみにこの時アカギは中学生)

 わたしは、この「狂気の沙汰ほど面白い…!」を座右の銘として、人生の様々な局面を乗り切ってきた。大学受験でもすべり止めを用意せずに受けたし、周りの人みんなが「やめときなよ」という先輩と付き合ったし、スーツを買わずに就活をした。

 その結果、まぁそこそこ楽しく人生を過ごしているので、アカギにお礼を言いたいんですけれども、どこに行けばいいですかね?(アカギのお墓は、縁起がいいとしてギャンブラーが欠片を持っていくらしいので、なんかボロボロになっているそうです。見つけたら教えてください)

 

天?天和通りの快男児 1

天?天和通りの快男児 1

 

 

 

スーパースーパーマン

 俺はスーパーが好きだ。超好きだ。スーパースーパー好きだ。もう8年もスーパーでバイトをしている。俺の品出しの技術は天下一品だと自負している。商品を並べるのがめちゃんこ上手い。我がスーパー自慢のポテチコーナーには、常時数十種類のポテチが陳列されている。俺はそれをピシーッと並べて、まるで壁のようにした。

 俺の品出しは芸術品だ。だが、お客さんが商品を買っていくと、俺の完璧な芸術はたちまち秩序を失って、崩れてしまう。俺は崩れたそばから商品を補充し、また完璧を目指す。しかし、こっちを補充すれば、あっちの商品が売れ、という有様で、すべての売り場が完璧であったためしはない。

 まぁ、花は枯れるから美しいという言葉もあるし、陳列棚も売れるから美しいのかもしれない。そう自分に言い聞かせてきた。あの日までは…

 

 あの日は、十年に一度という規模の台風が直撃した日で、交通機関もマヒしまくりで、お客さんはおろか、店員もほとんどいない状態だった。俺はいつも通り品出しに精を出していた。

 その時、奇跡が起こった。すべての売り場が完璧な状態になったのだ。お客さんが少なかったからこそ起きた奇跡。すべての商品が欠けることなく完璧に陳列されている。

 美しい。あまりの美しさに、涙が出た。そして、この美しさを守らなければならないという使命感に駆られた。

 俺は、ダンボールを開ける用のカッターを使って、店に残っていた数少ない店員とお客さんを店から追放した。そして、すべての扉を閉じて、この完璧なスーパーを外界から隔離した。

 

 しばらくして警察がやってきた。俺は架空の人質をとり、警察の侵入を拒んだ。このスーパーは俺が守ってみせる。

 俺が完璧なスーパーに籠城してから36時間が経過した。台風は過ぎ去ったが、スーパーは依然として完璧なままだ。

 しかし、さすがの俺も腹が減ってきた。幸いにもここはスーパー。食べ物はいくらでもある。だが、ここにあるものに手を出してしまったら、俺が守っている完璧な秩序が崩れてしまう。

 72時間が経過した。喉が渇いた。空腹も限界だ。警察の呼びかけに応える元気も湧いてこない…

 

 目が覚めると、俺は白いベッドに寝ていた。見慣れない天井。飲まず食わずの籠城で気を失ってしまったらしい。

 レジの金はおろか、商品にも一切手をつけていなかったが、俺がスーパーに籠城した動機は周りに一切理解されなかった。何度も何度も繰り返し動機を尋ねられ、俺はヤケになって「Perfect world」とだけ話すようになった。

 当たり前だが、俺は大好きなスーパーをクビになった。だが、今でもたまに客を装ってスーパーに行っては、こっそり陳列しなおしたりしている。

大学の先輩めっちゃダーツ誘ってくる

 ダーツなんて今まで1回もやったことなかったのに、大学生になったらメッチャ誘われるようになった。何これ?

 特に男の先輩がメッチャやり方を教えてくれる。おさがりのマイダーツももらった。何これ?

 ダーツでは、そのゲームで最下位だった人が、テキーラのショットを飲むのがルールらしい。何それ?

 さすがの私でも、もう気づいたけど、これは罠だ。たぶんダーツは経験がものをいうスポーツで、先輩が後輩にデカい顔をできるツールなのだ。しかも、ダーツバーなら自然と酒を勧めることができる。そうやって、先輩男子が後輩女子を籠絡するのに使うんだろう。

 でも、何故か私は初心者なのにダーツが上手かった。イノシシ狩りが盛んな福井の血だろうか。初挑戦の時から「ピューンッ」という盤の中心を射る音が鳴り響いた。ダーツ盤の真ん中はブルズアイ(牛の目)と呼ばれている。

 「好きこそ物の上手なれ」という言葉は嘘で、本当は逆だ。やっぱり上手くできるものは楽しい。私はどんどんダーツが好きになった。誘ってくれた先輩を何人も泥酔させてそのまま置いて帰ったりした。そしたら誰もダーツに誘ってくれなくなったので、私は淡々と1人でダーツをするようになった。

 当たり前だけど、1人でやる方が投げる順番が回ってくるのが早い。私はどんどん上達していって、そこらの素人とは一線を画すダーツプレイヤーになった。

 月日が経って、私も先輩になった。あの時、後輩だった同級生も先輩になって、新たに後輩をダーツに誘うようになっていた。私もそれに便乗して一緒にダーツに行った。

 もう私のダーツの実力は、普通に楽しむ人の域を超えていたので、一緒にプレイする時は的までの距離を2倍にしたり、目隠しして投げたりした。それでも、ほとんどのゲームで私が勝った。あとにはテキーラで泥酔した人の形をした何かが残った。

 とにかく私はダーツが強すぎたから、ハンデのためにどんどん曲芸じみたことをやるようになって、ロデオマシーンに乗りながら投げたり、後ろ向きで投げたりした。

 私がダーツクイーンとして畏怖の念をもって迎えられるようになってしばらくして、卒業の季節がやってきた。大学を卒業するということは、イニシエーションとして就職活動をしなければならない。1年生の時から、先輩に騙されてダーツに連れていかれ、自分が先輩になってからも後輩と遊びに行ってはテキーラを飲まされて泥酔していたユキちゃんは、広告代理店への就職が決まった。ダーツに負けてテキーラを飲まされたことなど一度もない私は、全然就職先が見つからなかった。

 私は見栄を張って、英国諜報部にスカウトされたと周りに言っている。冗談のつもりで言ったのだけど、周りの人は何もつっこんでこない。このままだと困るので、どこか私を雇ってください。4メートルくらいからなら、動脈程度の太さの的に、歩きながらでも針を刺せます。

孫という名の…

 孫が手紙をくれた。このあいだ産まれたばかりだと思っていたのに、もう手紙を送るほどの社会性を身につけたのか。昔「なんでこんなに可愛いのかよ 孫という名の宝物」という歌が流行ったが、今はその心境がよくわかる。孫はかわいい。孫ができた周りの人たちが口々に「孫は最高」と言っていたが、完全に同意だ。孫は最高。

 さて、孫がくれた手紙には「これからも元気でいてね」的なメッセージが書いてあり、その下にはおじいちゃんの絵とおそらく自画像が描いてあった。とっても上手。もしかして、将来イラストレーターや漫画家になれるんじゃないか?

 おじいちゃんの頭はハゲて、サイドに白髪を残している。眉毛も白く、細い目とともに垂れ下がっている。口の周りと目尻にはシワ、服装は緑のカーディガンだ。孫と並んでニコニコ笑っている。

 ちょっと待って、これ誰?

 何度も確認したが、この手紙は確かに私宛だ。そして、この手紙にはおじいちゃんと孫の絵が描いてあるが、私はこんなテンプレおじいちゃんみたいな外見はしていない。

 まだギリギリ50代だし、髪だって残ってるし、黒い。自分で言うのもなんだけど、目はパッチリしている。緑のカーディガンなど持っていない。誰なんだコイツは!

 そんな私の葛藤をよそに、孫から電話がかかってきた。「おじいちゃん、お手紙とどいた?」「うん、届いたよ。絵とっても上手だね」孫のかわいさに流されて、つい絵を褒めてしまった。

 私は、孫の絵を肯定するために、髪を剃り落とし、脱色し、目尻をさげるように矯正テープを貼るのであった。だって、孫はかわいいから。

(私は、孫におじいちゃんが2人いるという単純な事実を忘れていましたし、子どもが宛先を間違えてしまっただけだったと発覚した時にはもう、似たような外見のおじいちゃんが2人できあがってましたとさ)

 

 

 

 

野良ヒトシマツモトにすべらない話をさせられた話

今週のお題「#平成最後の夏」

 

 自分で言うのもなんだけど、私はシャイだ。いや、シャイという言葉は気取ってる感じがするな。なんか爽やかな響きがありません? シャイって。清潔感ありますよね。

 シャイというより口下手かな? でも口下手って言うと、ちょっと文学的響きがあるような気がしてしっくりこないな。なんか欠点っていうよりもチャームポイントみたいな気がしてくる。

 じゃあコミュ障か? いやー、コミュ障っていう言葉も、何年か前から急速に市民権を得て、障害という強い言葉を伴ってるわりには、ライトな印象がある。

 とにかく私は人と話すのが苦手だ。自分が声を出すと、自然な会話の雰囲気を破壊しているような気がする。かといって、何も言わないと場が凍る。胸にボイスメモを入れて、録音した人の会話をずっと聞いて勉強したこともある。

 その中で発見したのは、相づちの基本は共感と促進だということだ。例えば、相手が苦労したエピソードを話したら「大変でしたね」というようなことを言えばいい。大切なのは言葉の内容ではなく、声のトーンや表情だ。これは基本的に話している相手のものを真似すればよい。もう一つは、相手の話を促す合いの手だ。相手がまだオチを話していないなと思ったら「それでそれで?」というように、続きに興味を示せばよい。

 この法則を身につけてから、なんとか人並みに人の話を聞くことができるようになった(と思う)。ただ、自分が話すのは未だに苦手だ。だから、毎晩夜寝る前に、翌日会話する可能性のあるシチュエーションを想像し、シミュレーションをしながら眠る。朝、デスクに着いたら、挨拶をして、気温の話をしよう。夜は寝苦しかったみたいな話をすれば大丈夫だ。天候の話は鉄板だから、大丈夫、大丈夫…

 そんなコミュニケーション弱者の私に、地獄がやってきた。ヒトシマツモトとの飲み会がセッティングされたのだ。もちろん、本物の松本人志じゃない。飲み会で若手に「何かおもしろい話をしろ」とふってくるので、みんなからヒトシマツモトとあだ名されているのだ。

 そんなところ、本当なら死んでも行きたくないが、これも仕事のうちだ。ヒトシマツモトの前でおもしろい話を披露できた者は、その後成功するとかしないとかっていう噂もある。

 私は、即興でおもしろい話をする才能はない。あらかじめ練っておかなければ。

 おもしろいといえばゴリラだろう。小学生の頃、みんな替え歌にゴリラを混ぜていた。嫌いな先生をゴリラって呼べば笑えたし、それだけゴリラという言葉の持つおもしろパワーは偉大なのだ。

 あとは、失敗談がいいだろう。トホホなエピソードは、誰かを傷つけることなく笑いが取れるし、私のキャラクターとも合っている。

 問題は、どうやって私とゴリラを結びつけるかだ。まぁその辺は、うまいこと脚色しよう。最近の私の失敗談といえば、気持ちよく歌いながら自転車に乗っていたら、実は聞かれていたというよくあるやつだ。これにゴリラを混ぜる。

 

「自転車に乗っていたら、平成最後の夏の終わりを感じて、つい歌いたくなってきたんですよ。それでT.M.Revolutionの『HIGH PRESSURE』を口ずさんでいたんですが、この歌が流行ったとき、私は小学生だったので、ついその時の替え歌で歌っちゃってたんですね。『ゴリラを夏にシテ ジャングルに さあ行こう ゴリラを制する者だけが ゴリラを制する もうゴリラを決めちゃって…』って感じです。それで、ふと横を見たら、動物園の輸送トラックがずっと並走していたんですよ。やばっ、恥ずかしいなー、って思ったら、なんと檻にゴリラがいて、こっちをジーッと見てるんです。なんか、哀しそうな瞳をしてましたね…」

 

 考えすぎて頭がおかしくなっていた私は、このような捏造おもしろエピソードを引っさげて、ヒトシマツモトとの飲み会に挑みました。全身から発せられるノリの悪そうな奴オーラを察知したのか、ヒトシマツモトは私に話をふることなく、飲み会は盛り上がらないまま終わりました。

 冷静に読み返すと全然おもしろくないエピソードですが、披露されることのなかった輸送中のゴリラの哀しい瞳がずっと私の脳裏に焼きついて離れません。

う さ ぎ お い し か の や ま

 「ふるさと」といえば、一面の田んぼ、その先には山、茅葺屋根の家には縁側があって、僕はそこから夕日が沈むのを眺めているのが好きだった。そんな風景が思い浮かぶ。

 でも、実際には千葉の工業地帯生まれだし、アパートかマンションにしか住んだことがない。それでも「ふるさと」っていう文字列を見ると農村の風景が思い浮かぶんだから不思議なもんだ。

 きっと、千葉の工業地帯から出ないまま大人になり、地元の小さな会社に就職したので、いま住んでる場所とふるさとが未分化なのだ。だから、「ふるさと」という言葉を見ると、本当のふるさとではなく、テンプレ化したイメージのふるさとが浮かんでくるんだろう。詩人の室生犀星は「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と書いたけど、ふるさとがあまりに近すぎる。

 ああ、ふるさとを持つ人がうらやましい。私も、都会の喧騒に疲れた時に、ふと入った居酒屋でふるさとの味に出会って涙したい。ふるさとから遠く離れた場所で同郷の人と知り合って、地元あるあるで盛り上がったりしたい。

 もうふるさとを捏造しようかな。実は私はカリフォルニアの研究所で作られた人工生命体で、誕生してから政府の研究施設を転々としてきたから、「ふるさと」って言われても、試験管しか思いつかないや…

 どう? カッコよくない? キャラ作りのために、ふるさと納税NASAにします。