スーパースーパーマン

 俺はスーパーが好きだ。超好きだ。スーパースーパー好きだ。もう8年もスーパーでバイトをしている。俺の品出しの技術は天下一品だと自負している。商品を並べるのがめちゃんこ上手い。我がスーパー自慢のポテチコーナーには、常時数十種類のポテチが陳列されている。俺はそれをピシーッと並べて、まるで壁のようにした。

 俺の品出しは芸術品だ。だが、お客さんが商品を買っていくと、俺の完璧な芸術はたちまち秩序を失って、崩れてしまう。俺は崩れたそばから商品を補充し、また完璧を目指す。しかし、こっちを補充すれば、あっちの商品が売れ、という有様で、すべての売り場が完璧であったためしはない。

 まぁ、花は枯れるから美しいという言葉もあるし、陳列棚も売れるから美しいのかもしれない。そう自分に言い聞かせてきた。あの日までは…

 

 あの日は、十年に一度という規模の台風が直撃した日で、交通機関もマヒしまくりで、お客さんはおろか、店員もほとんどいない状態だった。俺はいつも通り品出しに精を出していた。

 その時、奇跡が起こった。すべての売り場が完璧な状態になったのだ。お客さんが少なかったからこそ起きた奇跡。すべての商品が欠けることなく完璧に陳列されている。

 美しい。あまりの美しさに、涙が出た。そして、この美しさを守らなければならないという使命感に駆られた。

 俺は、ダンボールを開ける用のカッターを使って、店に残っていた数少ない店員とお客さんを店から追放した。そして、すべての扉を閉じて、この完璧なスーパーを外界から隔離した。

 

 しばらくして警察がやってきた。俺は架空の人質をとり、警察の侵入を拒んだ。このスーパーは俺が守ってみせる。

 俺が完璧なスーパーに籠城してから36時間が経過した。台風は過ぎ去ったが、スーパーは依然として完璧なままだ。

 しかし、さすがの俺も腹が減ってきた。幸いにもここはスーパー。食べ物はいくらでもある。だが、ここにあるものに手を出してしまったら、俺が守っている完璧な秩序が崩れてしまう。

 72時間が経過した。喉が渇いた。空腹も限界だ。警察の呼びかけに応える元気も湧いてこない…

 

 目が覚めると、俺は白いベッドに寝ていた。見慣れない天井。飲まず食わずの籠城で気を失ってしまったらしい。

 レジの金はおろか、商品にも一切手をつけていなかったが、俺がスーパーに籠城した動機は周りに一切理解されなかった。何度も何度も繰り返し動機を尋ねられ、俺はヤケになって「Perfect world」とだけ話すようになった。

 当たり前だが、俺は大好きなスーパーをクビになった。だが、今でもたまに客を装ってスーパーに行っては、こっそり陳列しなおしたりしている。

大学の先輩めっちゃダーツ誘ってくる

 ダーツなんて今まで1回もやったことなかったのに、大学生になったらメッチャ誘われるようになった。何これ?

 特に男の先輩がメッチャやり方を教えてくれる。おさがりのマイダーツももらった。何これ?

 ダーツでは、そのゲームで最下位だった人が、テキーラのショットを飲むのがルールらしい。何それ?

 さすがの私でも、もう気づいたけど、これは罠だ。たぶんダーツは経験がものをいうスポーツで、先輩が後輩にデカい顔をできるツールなのだ。しかも、ダーツバーなら自然と酒を勧めることができる。そうやって、先輩男子が後輩女子を籠絡するのに使うんだろう。

 でも、何故か私は初心者なのにダーツが上手かった。イノシシ狩りが盛んな福井の血だろうか。初挑戦の時から「ピューンッ」という盤の中心を射る音が鳴り響いた。ダーツ盤の真ん中はブルズアイ(牛の目)と呼ばれている。

 「好きこそ物の上手なれ」という言葉は嘘で、本当は逆だ。やっぱり上手くできるものは楽しい。私はどんどんダーツが好きになった。誘ってくれた先輩を何人も泥酔させてそのまま置いて帰ったりした。そしたら誰もダーツに誘ってくれなくなったので、私は淡々と1人でダーツをするようになった。

 当たり前だけど、1人でやる方が投げる順番が回ってくるのが早い。私はどんどん上達していって、そこらの素人とは一線を画すダーツプレイヤーになった。

 月日が経って、私も先輩になった。あの時、後輩だった同級生も先輩になって、新たに後輩をダーツに誘うようになっていた。私もそれに便乗して一緒にダーツに行った。

 もう私のダーツの実力は、普通に楽しむ人の域を超えていたので、一緒にプレイする時は的までの距離を2倍にしたり、目隠しして投げたりした。それでも、ほとんどのゲームで私が勝った。あとにはテキーラで泥酔した人の形をした何かが残った。

 とにかく私はダーツが強すぎたから、ハンデのためにどんどん曲芸じみたことをやるようになって、ロデオマシーンに乗りながら投げたり、後ろ向きで投げたりした。

 私がダーツクイーンとして畏怖の念をもって迎えられるようになってしばらくして、卒業の季節がやってきた。大学を卒業するということは、イニシエーションとして就職活動をしなければならない。1年生の時から、先輩に騙されてダーツに連れていかれ、自分が先輩になってからも後輩と遊びに行ってはテキーラを飲まされて泥酔していたユキちゃんは、広告代理店への就職が決まった。ダーツに負けてテキーラを飲まされたことなど一度もない私は、全然就職先が見つからなかった。

 私は見栄を張って、英国諜報部にスカウトされたと周りに言っている。冗談のつもりで言ったのだけど、周りの人は何もつっこんでこない。このままだと困るので、どこか私を雇ってください。4メートルくらいからなら、動脈程度の太さの的に、歩きながらでも針を刺せます。

孫という名の…

 孫が手紙をくれた。このあいだ産まれたばかりだと思っていたのに、もう手紙を送るほどの社会性を身につけたのか。昔「なんでこんなに可愛いのかよ 孫という名の宝物」という歌が流行ったが、今はその心境がよくわかる。孫はかわいい。孫ができた周りの人たちが口々に「孫は最高」と言っていたが、完全に同意だ。孫は最高。

 さて、孫がくれた手紙には「これからも元気でいてね」的なメッセージが書いてあり、その下にはおじいちゃんの絵とおそらく自画像が描いてあった。とっても上手。もしかして、将来イラストレーターや漫画家になれるんじゃないか?

 おじいちゃんの頭はハゲて、サイドに白髪を残している。眉毛も白く、細い目とともに垂れ下がっている。口の周りと目尻にはシワ、服装は緑のカーディガンだ。孫と並んでニコニコ笑っている。

 ちょっと待って、これ誰?

 何度も確認したが、この手紙は確かに私宛だ。そして、この手紙にはおじいちゃんと孫の絵が描いてあるが、私はこんなテンプレおじいちゃんみたいな外見はしていない。

 まだギリギリ50代だし、髪だって残ってるし、黒い。自分で言うのもなんだけど、目はパッチリしている。緑のカーディガンなど持っていない。誰なんだコイツは!

 そんな私の葛藤をよそに、孫から電話がかかってきた。「おじいちゃん、お手紙とどいた?」「うん、届いたよ。絵とっても上手だね」孫のかわいさに流されて、つい絵を褒めてしまった。

 私は、孫の絵を肯定するために、髪を剃り落とし、脱色し、目尻をさげるように矯正テープを貼るのであった。だって、孫はかわいいから。

(私は、孫におじいちゃんが2人いるという単純な事実を忘れていましたし、子どもが宛先を間違えてしまっただけだったと発覚した時にはもう、似たような外見のおじいちゃんが2人できあがってましたとさ)

 

 

 

 

野良ヒトシマツモトにすべらない話をさせられた話

今週のお題「#平成最後の夏」

 

 自分で言うのもなんだけど、私はシャイだ。いや、シャイという言葉は気取ってる感じがするな。なんか爽やかな響きがありません? シャイって。清潔感ありますよね。

 シャイというより口下手かな? でも口下手って言うと、ちょっと文学的響きがあるような気がしてしっくりこないな。なんか欠点っていうよりもチャームポイントみたいな気がしてくる。

 じゃあコミュ障か? いやー、コミュ障っていう言葉も、何年か前から急速に市民権を得て、障害という強い言葉を伴ってるわりには、ライトな印象がある。

 とにかく私は人と話すのが苦手だ。自分が声を出すと、自然な会話の雰囲気を破壊しているような気がする。かといって、何も言わないと場が凍る。胸にボイスメモを入れて、録音した人の会話をずっと聞いて勉強したこともある。

 その中で発見したのは、相づちの基本は共感と促進だということだ。例えば、相手が苦労したエピソードを話したら「大変でしたね」というようなことを言えばいい。大切なのは言葉の内容ではなく、声のトーンや表情だ。これは基本的に話している相手のものを真似すればよい。もう一つは、相手の話を促す合いの手だ。相手がまだオチを話していないなと思ったら「それでそれで?」というように、続きに興味を示せばよい。

 この法則を身につけてから、なんとか人並みに人の話を聞くことができるようになった(と思う)。ただ、自分が話すのは未だに苦手だ。だから、毎晩夜寝る前に、翌日会話する可能性のあるシチュエーションを想像し、シミュレーションをしながら眠る。朝、デスクに着いたら、挨拶をして、気温の話をしよう。夜は寝苦しかったみたいな話をすれば大丈夫だ。天候の話は鉄板だから、大丈夫、大丈夫…

 そんなコミュニケーション弱者の私に、地獄がやってきた。ヒトシマツモトとの飲み会がセッティングされたのだ。もちろん、本物の松本人志じゃない。飲み会で若手に「何かおもしろい話をしろ」とふってくるので、みんなからヒトシマツモトとあだ名されているのだ。

 そんなところ、本当なら死んでも行きたくないが、これも仕事のうちだ。ヒトシマツモトの前でおもしろい話を披露できた者は、その後成功するとかしないとかっていう噂もある。

 私は、即興でおもしろい話をする才能はない。あらかじめ練っておかなければ。

 おもしろいといえばゴリラだろう。小学生の頃、みんな替え歌にゴリラを混ぜていた。嫌いな先生をゴリラって呼べば笑えたし、それだけゴリラという言葉の持つおもしろパワーは偉大なのだ。

 あとは、失敗談がいいだろう。トホホなエピソードは、誰かを傷つけることなく笑いが取れるし、私のキャラクターとも合っている。

 問題は、どうやって私とゴリラを結びつけるかだ。まぁその辺は、うまいこと脚色しよう。最近の私の失敗談といえば、気持ちよく歌いながら自転車に乗っていたら、実は聞かれていたというよくあるやつだ。これにゴリラを混ぜる。

 

「自転車に乗っていたら、平成最後の夏の終わりを感じて、つい歌いたくなってきたんですよ。それでT.M.Revolutionの『HIGH PRESSURE』を口ずさんでいたんですが、この歌が流行ったとき、私は小学生だったので、ついその時の替え歌で歌っちゃってたんですね。『ゴリラを夏にシテ ジャングルに さあ行こう ゴリラを制する者だけが ゴリラを制する もうゴリラを決めちゃって…』って感じです。それで、ふと横を見たら、動物園の輸送トラックがずっと並走していたんですよ。やばっ、恥ずかしいなー、って思ったら、なんと檻にゴリラがいて、こっちをジーッと見てるんです。なんか、哀しそうな瞳をしてましたね…」

 

 考えすぎて頭がおかしくなっていた私は、このような捏造おもしろエピソードを引っさげて、ヒトシマツモトとの飲み会に挑みました。全身から発せられるノリの悪そうな奴オーラを察知したのか、ヒトシマツモトは私に話をふることなく、飲み会は盛り上がらないまま終わりました。

 冷静に読み返すと全然おもしろくないエピソードですが、披露されることのなかった輸送中のゴリラの哀しい瞳がずっと私の脳裏に焼きついて離れません。

う さ ぎ お い し か の や ま

 「ふるさと」といえば、一面の田んぼ、その先には山、茅葺屋根の家には縁側があって、僕はそこから夕日が沈むのを眺めているのが好きだった。そんな風景が思い浮かぶ。

 でも、実際には千葉の工業地帯生まれだし、アパートかマンションにしか住んだことがない。それでも「ふるさと」っていう文字列を見ると農村の風景が思い浮かぶんだから不思議なもんだ。

 きっと、千葉の工業地帯から出ないまま大人になり、地元の小さな会社に就職したので、いま住んでる場所とふるさとが未分化なのだ。だから、「ふるさと」という言葉を見ると、本当のふるさとではなく、テンプレ化したイメージのふるさとが浮かんでくるんだろう。詩人の室生犀星は「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と書いたけど、ふるさとがあまりに近すぎる。

 ああ、ふるさとを持つ人がうらやましい。私も、都会の喧騒に疲れた時に、ふと入った居酒屋でふるさとの味に出会って涙したい。ふるさとから遠く離れた場所で同郷の人と知り合って、地元あるあるで盛り上がったりしたい。

 もうふるさとを捏造しようかな。実は私はカリフォルニアの研究所で作られた人工生命体で、誕生してから政府の研究施設を転々としてきたから、「ふるさと」って言われても、試験管しか思いつかないや…

 どう? カッコよくない? キャラ作りのために、ふるさと納税NASAにします。

熊五郎の乱。俺の乱。

 日本人の実に98%が「俺の先祖は織田信長の部下だったんだぜ!」みたいな会話をしたことがあるらしい(諸説あり)。私も小学生の時にそういう話になって、周りのクラスメイトたちに先祖の華々しい話を聞かされた。当然、自分の先祖が気になって祖母に尋ねてみたら「そんなんしらん!」と妙に語気荒く言われ、それ以上深くは追及できなかった。

 最近ふとそんなことを思い出して、自分の先祖を調べてみた。家系図をたどると、私の先祖は「熊五郎の乱」の指導者、熊五郎だった。江戸時代、藩の過酷な取り立てに反逆した人物らしい(諸説あり)。熊五郎が起こしたこの一揆は、小規模ですぐに鎮圧され、その後にもあまり影響を与えなかったため、歴史に埋もれてしまっている。

 「島原の乱」の天草四郎なんかと比べると、カリスマ性が足りなかったのだろうか。かわいそうな熊五郎。きっと、祖母もこの熊五郎の微妙さゆえに、聞いた私ががっかりすることを心配して、あえて教えなかったのだろう(諸説あり)。

 でも、私は自分の先祖が熊五郎であることを知って、むしろ誇りに思った。熊五郎の遺志は、私が継ぐ!

 私は政府の過酷な取り立て(所得税)に反逆するため、旗を背負い竹やりを手に同志を集った。しかし、熊五郎譲りのカリスマ性のなさが災いし、仲間が集まる前に国家権力(警察)に捕まってしまった。

 身元引受人として来てくれた母が「こういうことになるから、おばあちゃんはあんたに熊五郎の話をせんかったんたい(諸説あり)」と言った。

グローバル・バーバル

 うちの会社には海外事業部があるので、部署異動の際に海外転勤の可能性があるんだけど、特別優秀でも、語学力があるわけでもないので、縁のない話だと思っていたら、来た。海外転勤がやって来た。

 「向こうじゃ英語ができないと話にならないぞ」とか上司が脅しをかけてくる。弊社では、海外転勤があるということもあって、英語研修制度が充実している(こうなるまで知らなかったが)。英語の検定試験で一定のスコアを達成できると、ボーナスがもらえるらしい。たいていは、自腹で英会話スクールに通い、あとでそのボーナスをもらって相殺するらしい。

 つまり、独学で検定をクリアすれば、ボーナス丸儲けってことだ。やるじゃん、弊社。

 そういえば、昔ウイイレ(サッカーのゲーム)好きな友だちが、好きが高じて色んな人とウイイレで対戦するようになって、知らないフィリピン人と仲良くなって、毎晩ウイイレしてたら英語がペラペラになってた。これだ!

 そもそも言語っていうのは「習うより慣れろ」なのだ。誰も母語を習ったりはしない。浪人してた時、予備校の先生が「私の授業に金を払うくらいなら、海外に行った方がマシ」とよく言っていた。

 「雨傘」を「あめがさ」と読まず「あまがさ」と読むのはなぜかを説明できないように、言語は理屈じゃなくて、身体性なんだ。

 私は住んでいた安アパートを引き払い、留学生が集まるシェアハウスに引っ越した。ここで英語漬けの生活を送り、英会話スクールに通わずして英語を身につけるのだ!

 私が住むことにしたシェアハウス「バーンホフ館」には、ルーマニア人のフロリン、韓国人のミョンウォル、イタリア人のマイネッティがいた。全員英語圏じゃない…

 結局私は、四ヵ国語が入り混じった「バーンホフ語」とでも言うべき独特の言語を身につけて、海外転勤に向かうことになりました。シンプルに怖いです。