免許皆伝? 私の新しい試練

 高校卒業してから免許取るために教習所通い始めたんだけど、そろそろ6月になろうとしている現時点で、まだ取れてない。ほかにやることいっぱいで、なんかサボりがちっていうのもあるんだけど、最初の方の学科でつまずいちゃったのが大きな原因。
 それは「かもしれない運転」と「だろう運転」。「子どもが飛び出してくるかもしれない」と考えて注意する「かもしれない運転」が推奨されて、「きっと大丈夫だろう」と油断する「だろう運転」はいけないものだと教わった。
 でもさ、これって別に逆でもよくない? 「子どもが飛び出してくるだろう」でも成立しない? するよね?
 授業でこの話を聞いた時から、私は悪者扱いされる「だろう」が可哀想で可哀想で。そして、のうのうと正義面してる「かもしれない」が憎くて仕方なくなった。
 だから私は、あえて「だろう運転」で技能教習に臨んだ。もちろん「子どもが飛び出してくるだろう」という正義の「だろう運転」だ。
 しかし、教官はそんな私の心を見抜いた。
「あんた今、だろう運転をしただろ?」
 もちろん、外から見た私の運転は安全に気を配った正しい運転だ。けど、教官はそんな私の内面に潜む反社会的なメンタリティを見逃さなかった。
 でも、ここで負けるわけにはいかない。不当な扱いを受けている「だろう」のために。権力に虐げられている全ての弱者のために。
 そういう訳で、私の免許取得は滞っているんだけど、教習所の追加料金がかかっちゃってもいいよね? お父さんいつも「一度はじめたことを途中で投げ出すな」って言ってるし。