イニシエーション・正月

 正月なので実家に帰りました。
 私がコタツでのほほんとしてると、母が手招きをして、こっそりと台所に呼んできます。私は嫌な予感がしました。

「ほら、ヒロくん(甥)にお年玉あげな」

 つ、ついにこの時が来てしまった。今まで二十数年、お年玉をもらう側だった私が! この私が! お年玉を渡す側に!

「イヤだ!」
「何言ってるの。あなた社会人何年目よ。いい加減渡してあげなさい」
「お金を渡すのがイヤなんじゃないの。お年玉を渡す側になりたくないの」
「何を訳のわからない事を言ってるの。ポチ袋用意しといたから、五千円くらい入れて渡しなさい」

 母が手渡したポチ袋には、紋付袴を着たビークル犬が描かれていました。
 これを甥に渡してしまったら、私は完全に「あちら側」の存在になってしまう。この五千円は、三途の川の渡し賃だ。ポチ袋のビークル犬は、私を「あちら側」へと誘うメフィストフェレスだ。
 渡すのが怖い。これを渡してしまったら、私は今までの私とは完全に違うものになってしまう。おそらく、何の躊躇もなく親戚の子どもに「この前あった時はこんな小さかったのに」と言いながら手で5cmくらいを示すギャグをやったりするようになってしまう。そしてゆくゆくは、「はやく彼女連れてきなよ」とか言うようになってしまうんだ。怖い。怖すぎる。

 私が廊下でポチ袋を見つめながら逡巡していると、母が来て「ヒロくん、お年玉くれるってよー」と甥に声をかけた。
 もはやここまで。私は覚悟を決めました。さようなら、今までの私。頭の中で中原中也が詩を詠みます。


「汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる」


 甥は無邪気な顔をして、私からポチ袋を受け取りました。甥よ、君はもうしばらく「そちら側」にいてくれ。私は一足お先に行かせてもらうよ。願わくば、幸福な時間が長く続きますように。

「お姉ちゃん、ありがとう」

 甥はそう言って姉のところへ戻って行きました(日頃から徹底して「おばちゃん」と呼ばないようにしつけています)。

「あー、ありがとね」
 リビングに戻ると、姉からもお礼を言われました。
 そういえば、姉以外の親戚には子どもがいない。つまり、姉はお年玉を渡したことがないのではないか。姉は、いまだに「あちら側」にいるというのか! 何ということだ……

 私が憎しみを込めて睨みつけていることを物ともせず、姉がつぶやきました。
「この袋、なんでポチ袋って言うんだろうね」
 甥は、もらったばかりのポチ袋を見て
「犬の絵が描いてあるからじゃない?」
と言いました。やはり「あちら側」の人間は無邪気だ。ダルマの絵が描いてあったって、プリキュアの絵が描いてあったって、ポチ袋はポチ袋だ。
「じゃあ、ネコの絵が描いてあるやつはタマぶ……」
 そこまで言って私は口を噤んだ。



「汚れつちまつた悲しみは/倦怠のうちに死を夢む」


(ちなみにポチ袋のポチは、「これっぽっち」のポチらしいです。余計なお世話だ。)