ドアたち

 僕の中学生時代はドアを探すことで終わった。


 僕の家はいわゆる欠陥住宅というやつだった。ただ、床にビー玉を置くと転がってしまうとか、部屋の真ん中に変な段差があるとか、そういう普通の欠陥ではなくて、僕の家が抱えている欠陥は、壁とドアの見分けがつかないという大変ユニークなものだった。目の焦点をズラすと意味のわからない模様の中から、意味のわかる絵が浮かび上がってくる画像みたいに、油断するとドアが壁の中に溶けていってしまうのだ。
 それまではめったにドアを見失ったりはしなかったんだけど、第二次性徴の影響か、僕は中一の時にドアが見つけられなくなってしまった。
 ある朝、起きて部屋を出ようとするとドアが見つからない。目を細めて見ても、壁を触って確かめみても、全然ドアらしきものがない。うわ、ちょっとヤバいなー。今日遅刻しちゃうなー。とか最初は軽く思ってたんだけど、本気で見つからなくてだんだん焦る。パニクる。ないないない。
 そんな感じで部屋から出れなくて、結果的に「ひきこもり」みたいな形になってしまった。僕としては、部活に明け暮れたり、担任の先生とモメたり、甘酸っぱい思い出を作ったり、盗んだバイクで走り出したりしたかったんだけど、部屋から出れなきゃしょうがない。僕は孤独にドアを探し続けた。
 僕は壁とドアに翻弄されながら考えた。人類は壁とドアに支配されている。僕だけじゃない。普通の壁とドアに囲まれて暮らしている人もまた壁とドアに意識を握られているんだ。本来まったくフリーであるはずのこの世界に、壁とドアが部屋という概念を作っている。そして部屋には目的が設定されていて、人間は無意識にそれに従っているんだ。たとえばトイレ以外で排泄をするのはおかしいし、キッチンで寝るのも変だ。でもそれは、壁とドアが作った幻なんだ。壁もドアもない世界。そこは本来のフリーな姿をしている世界なはずだ。
 そんな風に、壁とドアのことを考えながら、一人でドアを探し続ける生活が三年ほど続いた。いい加減僕は疲れ果て、将来を悲観し、半ば自暴自棄になっていた。ゾンビのような態で部屋の壁に手を伸ばしていると、外から壁を叩く音が聞こえた。
ドンドンドンッ!
「おい。いるか? ちょっと壁から離れてろ」
ガッガッガッガッ ギュワーン ギュンギュギュ ワーン
 すんごい音を立てて壁からチェーンソーが飛び出してきた。壁が切り取られ、僕の部屋に光が差し込んだ。その光の中には「匠」がチェーンソーを携えて堂々と立っていた。
「よう。リフォームしにきたぜ」


 こうして僕の家は普通になった。いや、デッドスペースを活かした収納なんて点では普通の家以上といえる。僕は部屋から自由に出れるようになったんだけど、たいして通わないまま中学を卒業したことになっていて、なんだか宙ぶらりんになってしまった。外に出ていけるのが嬉しくって意味もなく外をふらついたりしていると、小学校の同級生に似た人を見かけたりする。その人が本当に小学校の同級生だった人と同じ人なのかはわかんないけど、その「わかんない」ってことに隔たりというか、おいてけぼりになったというか、失われた三年という時間を感じる。


 僕はどんどん歩いた。過ぎたこととか、これからのこととか、何にも考えないで歩いた。歩いて歩いて気がつくと、町の北の端まできていた。この辺りは民家もまばらで、やっているのかいないのかわからないボロい商店と「謎倉庫」しかない。「謎倉庫」っていうのは、中に何があるか誰も知らないバカみたいにデカい倉庫だ。実は宇宙人の秘密基地だとか、暴力団が処刑した死体が隠されているとか、色んな噂があった。
 久しぶりに見た「謎倉庫」は相変わらず薄汚れた緑色をしていて、すごく静かだった。「謎倉庫」にはよくわからない威圧感みたいなものがあって、それがまたミステリアスさに拍車をかけていた。だから変な噂が色々立つのだろう。
改めて近くで観察してみて、僕は「謎倉庫」の迫力の正体に気がついた。窓が一切ないのだ。というかドアも見えない。まるでリフォーム前の僕の部屋みたいだ。
 「謎倉庫」の周りをグルッと歩いてみて、裏側にドアがあるのを発見した。倉庫の大きさに対して小さなドアだ。いまにも壁に飲み込まれるんじゃないかって感じ。近づいてみると、マジックで書かれた「オス」という文字が消えかかってる。
 ああ。こいつ、僕に似てる。
 いままで人類は壁とドアに支配されてるって考えてたけど、それは違ってた。こいつらも壁に支配されているんだ。ドアっていうのは単体じゃ成立しない。壁というもので区切られた“境界”にだけ、その存在を許される。世界を仕切ってるのは壁だったんだ。
 「謎倉庫」のドアは、人目につかないこの場所で、ひっそりと、一人きりで、壁に支配されて暮らしていた。僕はこいつのためになんかしてやりたくなった。思えば世界中の多くのドアは一人ぼっちだ。部屋のドアは一枚でいい。
 このドアが寂しくないように、仲間を連れてきてあげたい。でも、ドアは存在できる場所は壁に規定されている。移動することはできない。


 僕はあの「匠」のところへ行った。あいつのために、まったく新しいタイプのドアを作ってもらうのだ。そのドアは、枠と蝶番とノブと板だけで構成された、新世代のドアだ。もう壁に存在する場所を決められることもない、単体でどんな場所にでも成立するドア。「どこでもドア」だ。
 僕は完成した「どこでもドア」をピンク色に塗ってもらった。やっぱりオスのあいつには女の子っぽいドアの方が喜ばれると思ったから。