記憶

タロウ・ヨロイヅカという日系イギリス人の作家がいました。彼は生涯で1001編以上もの作品を残しましたが、その作品の主人公は必ず記憶喪失でした。中にはすべての登場人物が記憶喪失という斬新な作品もありました。なぜ彼がそこまで記憶喪失にこだわったのかはわかりませんが、記憶喪失がドラマを生み出すのは間違いないようです。
実は、知らないうちに私も、そんなドラマの主人公になってしまったみたいです。最近気づいたのですが、私には記憶というものがないようなのです。三日前に何を考えていたか思い出せませんし、一昨日の夕飯も思い出せません。小学6年生の時の出席番号も思い出せません。
私は恐ろしくなり、白紙を用意して、そこに自分が思い出せる記憶を片っ端から書いてみました。

・冷蔵庫にビックリマンシールを貼って起こられた。
・小学生の時、好きな女の子に送ったラブレターを回し読みされた。
・中学生の時、帰り道で新巻鮭を拾った。
・大学受験に失敗した。
・職場の席はクーラーが直撃して死ぬほど寒いのにクールビズを強要されている。
etc...

いくつかのエピソードは思い浮かんだものの、A4の白紙が埋まることはありませんでした。
私が生きてきた(はずの)26年間という時間が、A4一枚に収まるはずがない。おそらく、これらの断片的な記憶は、私が26年間生きてきたと錯覚させるために、何者かが私に埋め込んだものに違いない。私は本当は26年間生きていたりはしなかったのだ!

たぶん私は26歳型ロボットで、実際には昨日製造されたばっかりで、何らかの実験のため平均的26歳に相当する人格をプログラミングされているんです。他人から与えられた作り物の記憶。しかし、今の私には、それを頼りに日々を生きていくほかないのです。

私は部屋にある26型の液晶テレビに奇妙な親近感を抱き、「おやすみ」と言って寝ました。
(もちろんこの液晶テレビには隠しカメラが仕掛けられていて、私を作った博士が監視しているかもしれないわけですが)