円滑な説教

 ちっちゃな頃から悪ガキでもなければ、優等生でもなかった。別に悪いことはしなかったけど、うっかりミスをしちゃって、大人から叱られることが何度かあった。

 よくよく考えると損だな。どうせ叱られるんだったら、欲望のままに極悪非道の限りを尽くせばよかった。まぁでも、そういう風に振り切れないのが自分らしいとも思う。

 社会人になってからも同じように、ついミスをしてしまって、先輩方からお叱りを受けたことが何度かあった。

 まぁミスをしてしまったわけだから、何か言われるのはわかる。納得している。でも、わかっているからこそ、この説教に何の意味があるのだろうかと思ってしまう。

 叱られたり、説教されるのはイヤなものだ。その「イヤさ」の理由を掘り下げていくと、結局、わかってる話を延々とされてしまうことの退屈さなんじゃないだろうか。

 宿題を忘れたのも、友だちとふざけているうちにぶつかってガラスを割っちゃったのも、業者への連絡が遅れたせいで仕事全体が止まっちゃったのも、大事な書類で数字が違っちゃったのも、すべて注意力と想像力の2点が欠如しているということに集約される。

 だから、ミスをしたことに対して申し訳ないという気持ちはあるけど、「結局『注意力と想像力が足りていない』って結論に落ち着くんだよな〜」と思ってしまって説教に集中できない。結末を知っている映画を観ているようで、全然面白くない。

 そんな風に考えているうちに、入社して数年が経ち、私にも後輩ができた。先輩として仕事を教えつつ、一緒に仕事をしていく、責任のある立場になった。

 後輩は悪い奴ではないが、特別デキるってわけでもなくて、まぁ普通にミスをした。俺は悩んだ。説教するべきか否か。先輩として、ミスに対して何かしらのアクションを取らないといけないだろう。しかし、後輩だって、説教に対して「もうわかってるよ!」と思うに決まっている。

 円滑な説教のため、私は後輩を呼び出し、「この前のミスの件だけど、わかっているよね?」とだけ言った。後輩は静かに「はい」とだけ言って終わった。それだけだったが、後輩はすごく真剣な顔をしていた。よかった。わかっているなら、余計な言葉をダラダラと費やす必要はないのだ。次から気をつけてくれ。

 翌日、後輩は辞表を持ってきた。そして、泣きながら「この前のミスの責任をとります」と言った。全然伝わってなかった。正直、ごめん。

 以来、私は一応ちゃんと説教をするようになった。でも、結末を知っていても観ちゃうような、昔の映画のリメイク版のようなつもりでやってるから、少しは楽しんでくれ。

 

IT/イット “それ”が見えたら、終わり。(吹替版)

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  • 発売日: 2018/01/12
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