Educational objective is watching you

 通勤途中の小学校の校舎の屋上には、学校目標だろうか「やさしく かしこく たくましく」という看板が立っている。こういうの昔からあるよなと思って、なんとなく自分の母校のホームページを調べたら、教育目標が「考える子 やさしい子 たくましい子」だった。似てる。

 気になって色々な小学校の教育目標を調べたら、大きな傾向があることに気がついた。ほとんどの小学校で教育目標は3本だてになっている。そして、その内訳は「やさしい・なかよく・思いやり」などの①精神的なもの、「かしこい・考える・進んで学ぶ」などの②勉強に関するもの、そして「たくましい・元気・強い」などの③健康に関するもの、この3つに集約される。

 私は急に恐ろしくなった。全国各地の小学校で同じような目標のもとに児童が教育されている。ドッヂボールに興じている時も、牛乳の一気飲み対決をしている時も、授業中に手紙を回している時も、子どもたちは「やさしく かしこく たくましく」というスローガンに見つめられているのだ。ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に出てくるビッグ・ブラザーのようだ。

 「やさしく かしこく たくましく」が目標とされているということは、人間が本来「いじわる おろか ひんじゃく」であることを逆説的に示している。現状がそうでないから目標として成立するわけだ。

 でも、それでいいじゃないか。私は人間の愚かさを愛する。昨日なんてリンスをしようとして間違えてシャンプーのボトルをプッシュするという行為を2回繰り返してしまった。おかげで3回も髪を洗うことになってしまった。我ながらおバカで可愛い。

 「たくましく」という目標のもとで、病弱な人はどうすればいいのだ。むしろ、たくましくない人も、そのままで大丈夫な社会こそが望ましい社会なのではないか。「やさしく」もそうだ。時には他人よりも自分を大切にしなきゃいけない。そういう柔軟性を持つ必要がある。

 私は人間の自由を愛する戦士として、例の小学校に忍び込み、目標の書かれた看板を書き換えた。「たまにやさしく おろかでもかわいく たくましくなくてもだいじょうぶ」

 これで子どもたちの未来は守られた。新しい看板を見ながら、私は穏やかな気持ちで出社した。

 オフィスの壁には「お客様に感動を 社会に新しい価値を 一人ひとりが主役」という文字が掲げられていた。

 

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

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