さよならハデス

 純粋無垢な子どもだったころは、火星は炎が噴き上がる星だと思っていた。金星は黄金でできていたし、木星は緑豊かな星だった。水星は水で覆われていて、彗星と区別がついていなかった。

 大人になるにつれて、正しい(とされる)知識が身について、そうじゃないことがわかった。火星がなんで火星って名前なのかはいまだにわからないけど、惑星の名前を耳にするたびに、今でも頭の片隅に子どもの頃のイメージがチラつく。

 ちょっと前に冥王星が惑星から外れると話題になった。わたしの頭の中では、冥王ハデスがギッチギチに詰め込まれた星がだんだん太陽から離れていくイメージが再生されていた。どのハデスも叱られた子どものような顔をしていた。

 

 

 

 

ゴリラの握力1t

 美味しいものを食べ過ぎて太る。これはわかる。「食べ過ぎ」と「太る」で罪と罰のバランスが取れているからだ。でも、ストレスでハゲるのは意味がわからない。「ストレス」は罪ではないのに、「ハゲる」は罰だからだ。

 誰も好きこのんでストレスを抱えたりはしない。仕事だって、しなくていいならしたくない。就活本には、働くことは社会貢献することだと書いてあった。それが本当なら、労働は善行じゃないか。なぜ善行を積んでいるのにストレスを感じなければならないのだ。ヨブ記(旧約聖書に載ってる酷い目にあっても神様を信じ続けた人の話)か。

 とにかく仕事のストレスでハゲるどころか、頭がおかしくなりそうだったので、問題を解決するために、冷静に分析をしてみた。

 わたしのストレスの原因は、わたしがゴリラではないことだった。ふざけている訳ではない。ちょっと考えてみてほしい。クライアントの無茶な要求、上司からの実行不可能な指示、後輩の勝手な行動、これらのストレスの原因は一見バラバラに思える。

 しかし、わたしがゴリラだったらどうだろうか。ゴリラに無茶な要求を押しつけられるか? ゴリラに変な指示が出せるか? ゴリラの言うことを無視できるか? 答えはNOだ。

 つまり、わたしが常時髪の毛の湿っている色白ヒョロガリだから、周囲からストレスを与えられるのであって、わたしがゴリラだったら、みんなわたしに気を遣って、ストレスなく生活ができるに違いない。ゴリラになりたい。

 そんなことを考えながら過ごしていたら、近所に気の触れたマッドサイエンティストがいて、ゴリラの肉体に人間の頭脳を移植したがっていて、新鮮な人間の脳みそを探しているということだった。

 さっそく私は、その実験に志願した。怪しい金属製のベッドに縛りつけられて、麻酔をかけられて、気がついたらゴリラになっていた。最高だ!

 これからはストレスレスライフを送れるぞ! 満員電車でも肩をぶつけられたり、足を踏まれたりしないだろう。(ゴリラを怒らせてうんこを投げられたりしたらイヤだから)(わたしはゴリラだけど、脳は人間なのでそんなことはしないけど)

 意気揚々と家を出て、しばらくしたら麻酔銃を構えた警官隊に取り囲まれた。気がついたら、よくわからない研究所のようなところだった。

 あれ以来、少し賢いゴリラとして研究所で暮らしている。自由が制限されることもあるけれども、ストレスは少ない。テレビも自由に見れる。この前、電車の中でうんこを投げつけたサラリーマンがニュースになっていた。きっと、肩でもぶつけられたんだろう。

合コンに行ってきた。

 動物好きが集まる合コンに行ってきた。参加者はトリマーや飼育員のような仕事で動物と関わる人から単なる愛犬家のような人まで様々だった。合コンは、友だちの紹介でやるのが一番気楽だし勝率もよい。業者が絡んでいるタイプの合コンは玉石混交だけど、経験上、参加者がピンポイントな企画の方が当たりが多い。俺も昔、動物に関わる仕事をしていたので、この合コンに参加することにした。

 実は、俺は昔、条約によって国際取引を禁止されている動物を密輸する運び屋だった。空路を避けて、船で数日かけてオオテナガテングキツネを運んだ。当然、運んでいる間は世話もする。

 オオテナガテングキツネの飼育方法は、全部ボスから学んだ。(ボスと呼べと言われたのでボスと呼んでいたが、密輸組織全体からみたら班長といった感じのおっさんだった。)ボスが言うには、オオテナガテングキツネは非常に難しい動物だ。まず、水は丸い皿で与えなければならない。でないとグンミヘになってしまう。

 グンミヘが何かはよくわからないが、丸い皿がなかったので、代わりに角盆で水を与えたら、ボスが血相を変えて怒った。「そんなことしたら、グンミヘになってしまうだろうが!」俺が、今すぐ丸い皿を探してきますと言ったら「もう遅い!」とさらに声を荒げた。

 それから、夜はサンタ・ルチアを子守唄代わりに歌わなくてはならない。ボスの説明では、サンタ・ルチア(イタリア語歌詞)のバイブスがオオテナガテングキツネの母親が子どもを寝かしつける時の鳴き声とそっくりなのだそうだ。俺は、毎晩サンタ・ルチアを(イタリア語で)歌ったが、途中で飽きてきて、適当な替え歌を歌うようになった。なんなら替え歌にも飽きて、スピッツのチェリーとかを歌っていた。

 ボスがそれを見つけて、また「そんなことしたら、ボヘンノになっちまうだろうが!」と怒った。相変わらずボヘンノが何かは分からなかったが、とにかくそれはもう取り返しのつかないことらしかった。

 そんなこんなで毎日のように何かしらのミスをやらかし、その度にオオテナガテングキツネはウゼアノとかヒッケゼとかになった。

 しばらくして日本に着いて、オオテナガテングキツネを引き渡す時、ボスが「自分のミスをきちんと説明しろ。それがプロってもんだ」と言うので「すみません。このオオテナガテングキツネ、俺のミスでグンミヘでボヘンノでウゼアノのヒッケゼになってしまいました」と謝った。相手は「そうか。とりあえず元気そうだな」と言った。

 ボスは「相手が無知で助かったな」と言ったが、今考えるとあれはボスが俺をからかっていただけじゃないのだろうか。本当はオオテナガテングキツネは手のかかる動物じゃなかったんじゃないか?

 話は戻るけど、そういう過去を脚色して、俺は動物好きが集まる合コンでうまいこと話し、見事にペットショップに勤める女の子と付き合うことになった。もうすぐ半年になる。

 今日、仕事終わりの彼女が人間関係で悩んでいたので「一番難しい生き物は人間だよね」と励ましたら「いや、オオテナガテングキツネの方が難しいよ」と返された。

It is no use crying over spilt milk.

 部活の後輩のスギモトくんは、登場の仕方がちょっとおかしい。「先輩!」と呼ぶ声がして、振り返ると誰もいなくて、おかしいなと思いながら前へ向き直るとスギモトくんがいたりする。トイレで用を足したあと、手を洗っていてふと目線を上げると背後に立っているスギモトくんと鏡ごしに目があったりしたこともあった。

 最初はふざけてるんだと思って面白がってたけれど、毎回だと疲れるし、普通に怖い。やめてくれと頼んだら、スギモトくんはやめ方がわからないと泣きながら話した。詳しく話を聞くと、スギモトくんは幼少期から子守代わりにテレビを見せられて育ったそうだ。だから、普通人間関係の中で学ぶことを全てテレビから学んだ。物心ついてからはホラー映画にハマったため、つい驚かすような登場の仕方をしてしまうのだそうだ。

 そもそも普通の人は、誰かの前に姿を見せることを「登場」とは呼ばない。じゃあなんと呼ぶかって言われると答えに困るんだけど…。とにかく、もっと自然に何も考えずスッと近づいていけばいいんだよ。とアドバイスした。

 それからスギモトくんは無言でヌッと視界に入ってくるようになった。前よりはマシだけど、ちょっとぎこちない。部のみんなで相談して、青春映画をたくさん見せることにした。たぶんスギモトくんは映画から学ぶのが一番性に合ってるだろう。

 その結果「目が合っちゃったね」とか「いま、俺のこと考えてただろ?」とか体が痒くなるようなセリフを連発するようになってしまった。結局最初のスギモトくんが一番よかったという結論になったので、今度はホラー映画を観ることになった。

 覆水盆に返らずっていう言葉があるが、まさにその通りで、一度起こったことは取り返しがつかない。最終的にスギモトくんは、人の死角の外から突然現れては、イケメン俳優にしか許されない喋り方で口説いてくるようになってしまった。

 上からネバネバした液体が垂れてきて、天井の方を観るとスギモトくんが貼りついている。そして、「この出会い、運命っぽくね?」などと言ってくる。怖すぎる。

 我々部員一同は、スギモトくんを滅茶苦茶にしてしまったことに対する罪悪感から、彼と向き合うことを避け、彼を野放しにしてしまった。たまに妖怪に口説かれたという噂話を聞くと、心がチクチクと痛む。

ゾンビ映画から学んだこと

 人間なんて一皮剥けば欲望と利己主義にまみれた愚かな動物だ。極限な状況では、正義だの愛だの言ってられない。自分を守るためには他人を蹴落とすのも厭わない。それが人間だ。ゾンビ映画をたくさん見たからわかる。

 人間の利己的な振る舞いのせいで状況が悪化するというシチュエーションを嫌という程見てきた(ゾンビ映画で)。結局、1番恐ろしいのは(ゾンビよりも)人間だ。

 最近、何かにつけ「糖質30%オフ」だの「糖類ゼロ」だのという言葉を見かける。少し前までは、こんなに「糖質」や「糖類」が注目されてはいなかったと思うが。これは怪しい。本当に「糖質」や「糖類」は減らした方がいいのか? なんらかの陰謀の可能性はないのか?

 わたしは「糖質」や「糖類」について特別な知識を持ってはいない。多くの人がそうだと思う。なのに宣伝文句を鵜呑みにして、思考停止して「糖質」や「糖類」が少ない方がいいと考えるのは危険ではないか? さっきも言ったように人間は利己的な生き物だ。誰かが騙そうとしていてもおかしくはない。

 他にも「タウリン1000mg配合!」っていうが、「タウリン」がどんなもので、どういう仕組みで、何に効くのかわかっている人がどれだけいるというのだ。「タウリン30%オフ」とパッケージに書いたら、何かいいことのように感じて買ってしまう人もいるんじゃないのか?

 魑魅魍魎が跋扈するこの地獄変で、真実を知ることは非常に難しい。しかし、今なら先着50名様に、真実を見抜く特別な水晶をご用意しております。興味のある方はご連絡ください。特別価格でご案内いたします。

マッサージの真実

 営業時間を過ぎたマッサージ店に人がやってくるのを見たことはないだろうか。あれは特別なマッサージ師だ。彼らはマッサージ師にマッサージを施すために全国のマッサージ店を巡っている。

 マッサージ師とはいっても、やはり人間。人々のコリをとるうちに自分にもコリが溜まってくる。マッサージ師専門のマッサージ師は、閉店後のマッサージ店を巡ってコリをほぐす。

 ここから先の話は聞いた話だが、マッサージ師専門のマッサージ師をマッサージするマッサージ師もいるらしい。そして、そのマッサージ師をマッサージするマッサージ師も…

 こうして、マッサージ師のコリは段々と1人のマッサージ師に集約されていく。日本中のコリをその身に宿したマッサージ師は、マッサージ神と呼ばれ、誰からもマッサージを受けずに長い年月をかけて山奥で自らを癒す。

 マッサージ神のおかげで、世界のコリの総量はバランスを保っているのだ。マッサージ神に感謝。

偽のクリスタルスカル遺跡

 ディズニーランドってすごい!

 高校生になって、初めてできた彼氏にディズニーデートを誘われた。わたしは、ハッキリ言って嫌だった。ディズニーデートをするカップルは別れるっていう伝説があったからだ。

 この伝説は、オカルトでも何でもなくて、ただ単に交際歴の浅いカップルがディズニーランドに行くと、その待ち時間の長さに話題を失ってしまって、結局会話が盛り上がらず別れてしまうということだった。

 わたしも、おしゃべりには自信がない方なので、ディズニーデートに誘われた時はイヤだった。でも、彼氏からの誘いを無碍にする訳にもいかない。

 結局わたしたちはディズニーシーに行くことになった。ディズニーシーは久しぶりにきたけれども、やっぱり面白い。ベネチアの街並みを真似たであろう風景もそれっぽいし、海底世界も作り物ながらリアリティを保っている。

 特に、わたしが感動したアトラクションは、インディージョーンズのやつだ。古代の遺跡をモチーフとして作られたアトラクションで、ハリソンフォード似のロボットが冒険を案内してくれる。

 数百年後には、この世界も遺跡になってしまうのだろうか。そういう風に考えると、このインディージョーンズのアトラクションは、遺跡になるのにふさわしい。神秘の宝、それを守る怪物、冒険に必要なすべてが揃っている。

 わたしは、数百年後の世界で、本物の遺跡になったアトラクションのことを考えながら、240分待ちの列に並ぶのであった。

(未来世界では、人類に代わってイカが世界を牛耳ると言われています。進化したイカが、ロボットのインディージョーンズをどういう風に解釈するかは謎ですが、仲良くやってくれればと思います)(わたしたちは仲良くやれませんでした)