僕の職場のヤバい客

 お久しぶりです。新年度が始まりましたが、わたしは相変わらず学校に通うわけでもなく、就職するわけでもなく、ただ無為な時間を過ごしております。それもこれも衣食住が保証されている実家というサンクチュアリあってのこと。お父さん、お母さんありがとう。

 とはいえ、自分で自由に使える分のお金くらいは稼いでおかないといけないので、バイトを始めました。マクドナルドです。スターバックスは落ちました。応募 条件を満たしておりましたし、全ての曜日の全ての時間帯にシフトを入れられるというのに、なぜ落とされたのでしょうか。意識が低いことがバレたのでしょうか。スターバックスにいる客を内心バカにしているからでしょうか。

 マクドナルドは、お客さまに安価でそこそこのハンバーガーを提供するために、人件費を思いっきり節約しています。ピーク時には、どう考えても倍の人数がいないとおかしいだろと思うほど忙しいです。こっちが倍マックしてほしい。訓練されたマックのクルー(店員)は、通常の人間の1.8倍の働きをすることができるので、なんとか毎日ギリギリでお店を回すことができています。給料は通常の人間と同額です。

 でも、すべてはお客さまにそこそこのハンバーガーを提供するというマクドナルドの使命のためです。お店に来てくださる全てのお客さまのため、これからも精進してまいりたいと思います。この前も、素敵なお客さんに遭遇いたしました。

 そのお客さまは、50歳前後の男性でしたが、ハンバーガーを丁寧に解剖して、それをテーブルの上にきちんと並べたあと、ご自分の手でぎゅ〜っとつぶし始めました。対象がハンバーガーであったものの、行為だけを切り取ってみれば、まさに猟奇殺人者のそれと変わりないように思います。恐怖を感じた別のお客さまが我々に報告してくださいました。

 わたしが、事情を伺いに向かいますと、そのお客さまは、向かいの椅子(固定されているもの)をガンガン蹴って奇声を発している最中でございました。わたしは、勇気を振り絞り「いかがなさいましたか?」と声をかけました。

 「コーヒーに砂糖がついてねぇんだよ!最初からぁっ!」とお客さまは絶叫されました。

 なんだって! わたしは衝撃を受けました。もちろん、お砂糖を渡し忘れたのはこちらのミスです。しかし、砂糖の渡し忘れを伝えるために、ハンバーガーを解剖したうえに椅子にキックをする文化があったとは!

 多様性の時代といわれて、もうしばらく経ちました。マニュアルにも、様々な文化的背景をもったお客さまに対応するように、色々な項目が用意されております。しかし、ハンバーガーの解剖でコミュニケーションを取る文化があるとは想像だにしませんでした。まだまだ勉強が足りなかったようです。

 「失礼ですが、お客さまはどちらのご出身ですか? 今後のために是非教えてください!」わたしは、マクドナルドのクルーとしての使命感から、そう尋ねました。「カサイだよっ! なんだ、文句あっか!?」とお客さまは答えてくださいました。

 …カサイ? 葛西か? いやいや、まさか。千葉に近いとはいえ、葛西は東京都。そんなに文化が違うわけはありません。とすると、どこか外国の地名? いや、火星が訛ってカサイに聞こえたのかも。それなら、納得できます。我々地球人は、言語というツールを用いた音声でのコミュニケーションを基本としていますが、きっと火星では物を置く位置やそれに力を加えるという方法でコミュニケーションをとるのが一般的なのでしょう。

 これからはグローバルを超えた、宇宙規模、すなわち“セレスティアル”の時代です。わたしは、そのお客さまから、火星のことを根掘り葉掘り尋ねました。お客さまは不機嫌になって出て行かれました。たしかに、無料で教えを乞おうというのは、虫がよすぎたかもしれません。反省反省。

 それからというもの、わたしはお店にやってくる地球の常識では測れないコミュニケーションをとるお客さまを積極的に観察し、理解しようと努めました。ハンバーガーを2個買って、自分でダブルハンバーガーを作り、余ったパンズをゴミ箱に捨てていくお客さま、人が捨てたレシートを持ってきて、その分のポイントを自分のカードにつけてくれとおっしゃるお客さま、自分が食事をする姿を見ていてくれというお客さま、隣のお客さまのポテトを食べるお客さま……

 たくさんの理解できないお客さまが来店してくださいましたが、そのたびにわたしは記録を残し、ついに、地球の常識を超えたお客さまにも対応できる新しいマニュアルを完成させることができました。

 その功績が本部に認められて、今はマクドナルド火星支店を任せられています。信じられないようなお客さまばかりいらっしゃいますが、給料は通常の店舗と同額です。

 

 

ずっと気持ちおじさん

 4月になって、職場に大学を卒業したばかりの男の子が入ってきた。ガチガチに緊張しているのがありありと伝わる挨拶をしたあと、何かしなければならないけど何していいかわからず、何を誰に尋ねたらいいかもわからない感じでオロオロとしていた。

 私の部署は、年度はじめが一年で最も忙しく、なかなか彼に構ってあげられないのだ。私は、彼に簡単な書類の整理をお願いし、定時がきたら「帰っていいよ」と言ってあげた。本格的に仕事を教えるのは、今の忙しさがひと段落してからだ。

 周りが忙しそうにしているなか、自分が一番に帰るのは気まずそうだったが、そういう事情を伝えて、気にせず帰るように促した。どうせ来年は彼もこちら側だ。

 ぎこちない挨拶をして帰る彼を見て「若いなー」と思う。年齢的には私のふた周り下くらいか? 私もおじさんになったものだ。

 もちろん、私にも新入社員だった時があった。あの頃は、街で大騒ぎする大学生を見て「若いなー」と思った。

 大学生の時は、受験勉強にやきもきする高校生を見て「若いなー」と思った。高校生の時は、異性の目を意識してスカした態度をとる中学生を見て「若いなー」と思った。中学生の時は、うんこちんこで大笑いしている小学生を見て「若いなー」と思った。小学生の時は、スーパーでお菓子を買ってもらえず、床に寝転んで駄々をこねる幼稚園児を見て「若いなー」と思った。幼稚園の時は、ベビーカーに乗って、周りの空気も読まず、好きな時に寝ている赤ん坊を見て「若いなー」と思った。赤ん坊の頃は、妊婦さんの大きなお腹を見て「若いなー」と思った。胎児の時は、まだ細胞分裂を起こしていない細胞を見て「若いなー」と思った。細胞だった頃は、前世の記憶があったので、まだ死を経験していない人間たちを見て「若いなー」と思った。

 生命の循環と意識の神秘について考えると、今の私って「若いなー」。

あちら側はどこからも切れない

 おれは頭が切れる。と言っても、頭の回転が速いとか、そういうことではない。月に一度か二度、物理的に頭が切れてパックリと開いてしまうのだ。そうなると、切れた頭がどっかいってしまわないように抑えているだけで精一杯になってしまう。
 どうせならもっとスパッと切れればいいのに、と思う。おれの頭ってやつは、「こちら側のどこからでも切れます」と書いてあるカップ麺のスープが入った小袋がうまく切れない時のように、だらしなく変形しながらなかなか切れない。
 頭が切れる時は、身体への負担が大きい。自分のところだけ重力が10倍になっているような、手足が金属になってしまったかと思うほど重くなり、とにかく動けなくなる。動けたとしても、とんでもなくスローな動きだ。そんな状態なのに、切れた頭をしっかりと押さえておかなければならないから、しんどい。
 ひとたびこうなると、精神の状態もめちゃくちゃだ。まず神を憎む。なぜおれだけがこのような試練を味わわなければならないのか。そして社会を恨む。なぜお前たちは苦しんでいないのか。最後に自分を呪う。もう死んだほうがマシなんじゃないのか。
 おれはこの症状(そもそも「症」なのかも怪しい。メカニズムは解明されていないし、薬がなぜ効くのかもわかっていない。)のせいで、まともに働けない。いまの会社は優しい会社で、おれのようなポンコツを受け入れてくれている。もちろん不満もないことはないが、このままここで働けるまで働かせてもらい、働けなくなったら飢えて死ぬだけのことだ。
 おれは時々使い物にならなくなってしまう時があるから、当然重要なポストに就くことはできない。したがって、他の同世代のやつに比べたら収入も劣るだろう。また、周りに迷惑をかけてしまうこともしばしばある。申し訳なく思うし、その分他のことで取り戻そうとはしている。
 だが、おれだって好きでこんなおれになったわけではないのだ。身体が動かせなくなり、迷惑をかけてしまったとき、おれは「すみません」と頭をさげつつ、誰が何に謝っているのかわからなくなることがある。

砂漠の馬

 ディズニープラスに入会しました。ディズニー、ピクサー、マーベル、スターウォーズ、ナショナル ジオグラフィックが見放題のサービスです。オリジナルコンテンツの『マンダロリアン』『ワンダヴィジョン』が面白いと聞いて、それを目当てにしていたのですが、『ザ・シンプソンズ』もシーズン14まであるので、そればっかり観ています。

 日々仕事に追われ、疲れて帰ってくると、新しいコンテンツに向き合う気力が湧かず、ついつい知っているものばかり観てしまいますね。ナショナルジオグラフィックに手を出す日はいつになることやら。

 そういうわけで、小さい頃好きだった『アラジン』を観ました。砂漠の街アグラバーに住む貧しい青年アラジンが、ランプの魔人ジーニーと出会い、成長していく物語です。いま観てもワクワクドキドキできるし、いい映画ですね。ディズニーなのでミュージカルなんですが、どの歌もいいんですよ。最高。完結編までイッキ見してしまいました。

 完結編には、アラジンの父親が登場します。彼は、砂漠の盗賊団のボスで黒い馬に乗って颯爽と登場します。馬!?

 砂漠に馬!? 砂漠といえば、ラクダじゃないんですか? 厳しい砂漠を生き抜くために、栄養を溜めているコブ、砂から瞳を守る長いまつ毛、長身を活かす歩き方……

 ラクダは砂漠で生きるために、長い年月をかけて、あの特徴的な身体を手に入れただろうに! 馬でも砂漠を走れたんじゃあ、ラクダの立つ瀬がないぜ!

 友達でボウリングに行って、グローブを装備して気合を入れていたのに、結果3位だった時のことを思い出して、ラクダに共感した。こんなに気合を入れた姿をしているのに、馬でも砂漠を走れるなら、コブなんか切除してしまいたくなるんじゃないだろうか?

 ラクダの気持ちを知るために、ナショナルジオグラフィックラクダを検索します。

アラジン完結編/盗賊王の伝説(吹替版)

アラジン完結編/盗賊王の伝説(吹替版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 

私は歌が上手い人よりもカラオケで高得点を出すことができる。

 カラオケに行きたい。いや、行けばいいじゃんと思いますよね。感染防止対策を徹底したうえで行けばいいじゃん、と。別に高いものでもないし、カラオケ屋さんくらい近くになるでしょ、と。

 違うんですよ。私はガチのカラオケがやりたいんです。採点システムを使って点数を競う「競技カラオケ」をやりたいんです。じゃあボーカルオーディションにでも行けばいいんじゃないの、と思うかもしれません。それも、違うんですよ。あくまでもカラオケという土俵で戦いたいんです。

 カラオケの採点は、厳密には歌のうまさを測ってはいません。もちろん、音程が正確であることは大切ですが、モノマネ的な要素や声質の個性は採点の対象外です。その代わり、こぶしやビブラートが加点対象になります。

 機種によっても、微妙に採点の基準が変わってきます。私は、カラオケ屋さんで「ご希望の機種はございますか?」と聞かれても、基本的には「ありません」と答えて、店側におまかせしています。そして、部屋に入ってから機種を確認し、その採点基準に合った歌い方をします。

 そうやって、採点システムで高得点を狙ってストイックに歌ってきましたが、そろそろ誰かと戦いたいと思うようになってきました。もちろん、何度か100点満点を獲ったことはあります。しかし、カラオケは一発勝負。時には90点を割ってしまうこともあります。そういう真剣勝負のヒリヒリ感を味わいたいのです。もう友だち同士でキャッキャしながら、サビ以外あいまいなまま歌うようなヌルいカラオケじゃ満足できないんですよ。

 機種はランダム、3本勝負で合計点が高い方が勝利というルールで誰か戦ってくれませんか。

 

 

Hi-kara (ホワイト)

Hi-kara (ホワイト)

  • 発売日: 2008/10/18
  • メディア: おもちゃ&ホビー
 

 

 

円滑な説教

 ちっちゃな頃から悪ガキでもなければ、優等生でもなかった。別に悪いことはしなかったけど、うっかりミスをしちゃって、大人から叱られることが何度かあった。

 よくよく考えると損だな。どうせ叱られるんだったら、欲望のままに極悪非道の限りを尽くせばよかった。まぁでも、そういう風に振り切れないのが自分らしいとも思う。

 社会人になってからも同じように、ついミスをしてしまって、先輩方からお叱りを受けたことが何度かあった。

 まぁミスをしてしまったわけだから、何か言われるのはわかる。納得している。でも、わかっているからこそ、この説教に何の意味があるのだろうかと思ってしまう。

 叱られたり、説教されるのはイヤなものだ。その「イヤさ」の理由を掘り下げていくと、結局、わかってる話を延々とされてしまうことの退屈さなんじゃないだろうか。

 宿題を忘れたのも、友だちとふざけているうちにぶつかってガラスを割っちゃったのも、業者への連絡が遅れたせいで仕事全体が止まっちゃったのも、大事な書類で数字が違っちゃったのも、すべて注意力と想像力の2点が欠如しているということに集約される。

 だから、ミスをしたことに対して申し訳ないという気持ちはあるけど、「結局『注意力と想像力が足りていない』って結論に落ち着くんだよな〜」と思ってしまって説教に集中できない。結末を知っている映画を観ているようで、全然面白くない。

 そんな風に考えているうちに、入社して数年が経ち、私にも後輩ができた。先輩として仕事を教えつつ、一緒に仕事をしていく、責任のある立場になった。

 後輩は悪い奴ではないが、特別デキるってわけでもなくて、まぁ普通にミスをした。俺は悩んだ。説教するべきか否か。先輩として、ミスに対して何かしらのアクションを取らないといけないだろう。しかし、後輩だって、説教に対して「もうわかってるよ!」と思うに決まっている。

 円滑な説教のため、私は後輩を呼び出し、「この前のミスの件だけど、わかっているよね?」とだけ言った。後輩は静かに「はい」とだけ言って終わった。それだけだったが、後輩はすごく真剣な顔をしていた。よかった。わかっているなら、余計な言葉をダラダラと費やす必要はないのだ。次から気をつけてくれ。

 翌日、後輩は辞表を持ってきた。そして、泣きながら「この前のミスの責任をとります」と言った。全然伝わってなかった。正直、ごめん。

 以来、私は一応ちゃんと説教をするようになった。でも、結末を知っていても観ちゃうような、昔の映画のリメイク版のようなつもりでやってるから、少しは楽しんでくれ。

 

IT/イット “それ”が見えたら、終わり。(吹替版)

IT/イット “それ”が見えたら、終わり。(吹替版)

  • 発売日: 2018/01/12
  • メディア: Prime Video
 

 

 

仰げば尊し我が師の恩

 今週、いよいよ高校を卒業する。この3年間は、長かったような、終わってみれば一瞬だったような、そんな感じだ。部活も勉強も恋愛もしなかったから、あんまり高校生らしい高校生じゃなかったような気もする。やっぱ白球を追って青春を燃やし尽くすような高校生活を送ればよかったかなって気もするけど、周りにそんなやつは全然いないし、こういうモヤモヤした過ごし方も青春のひとつなのかもしれない。

 卒業式の予行もやった。俺の役目は、名前を呼ばれたら返事をして、賞状みたいなやつを受け取るだけ。仰々しく予行をやるほどのこともない。途中で礼が揃ってないということで、何度かやり直しさせられたけど、3年ともに過ごしてきて揃わないなら、もう永遠に揃うことはないだろう。

 卒業式のクライマックスは、「仰げば尊し」の合唱。この歌、卒業式の定番らしいが、はっきり言って時代遅れだろ。「思えば いと疾し この年月」なんて言葉使うやついないだろ。案の定、先生が歌詞の意味を説明しはじめちゃうし。先生が「先生への恩は尊いですね〜」って話すの、ある意味ファシズムディストピアだな。

 こっちは普段「うっせぇ うっせぇ うっせぇわ」とかやらせてもらってるんで、「身を立て 名をあげ やよ励めよ」はリアルじゃない。やっぱ歌っていうのは、気持ちを乗せられるようなリアリティがないとダメだ。

 俺は自分の気持ちを乗せられるようなリアルな「仰げば尊し」の歌詞を考えだした。卒業式の予行はほとんどの時間がただ座っているだけなので、ちょうどいいヒマつぶしになった。「3年通ったこの校舎 先生ありがとマジ感謝」というリリックを思いついた後は、「恩赦」という言葉以外なにも出てこなくなって、お歌詞作りは止まってしまった。

 いよいよ、卒業式の予行も「仰げば尊し」を歌うところまで来た。そしたら、先生が「こういう状況だから、君たちに歌わせるわけにはいかない。そこで、コーラス部に作ってもらった録音を流すことにします。卒業生は起立して、音楽を聞いてください。」と言った。

 マジで意味わかんないし、空虚すぎてヤバいけど、俺の3年間の締めくくりとしては、ちょうどいいリアルさがあるかもしれない。

 

 

暗殺教室~卒業編~

暗殺教室~卒業編~

  • メディア: Prime Video